鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記 <71>

 

隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜)<71>
2012年3月14日 「昔を偲びつつ」 


聖書の言葉
愛は決して滅びない。預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう。わたしたちの知識は一部分、預言も一部分だから。完全なものが来たときには、部分的なものは廃れよう。幼子だったとき、わたしは幼子のように話し、幼子のように思い、幼子のように考えていた。成人した今、幼子のことを棄てた。わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。だがそのときには、顔と顔とを合わせて見ることになる。わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、はっきり知られているようにはっきり知ることになる。それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。
(コリントの信徒への手紙13章8-13節)



このブログの前々回において大塚平安教会近くにある桜並木に思いを寄せて、しばし昔を偲んだのであるが、ついでながら、信号「大塚本町」付近の昔を偲んでいた。どうしても書きとめておきたかったので、今回も昔を偲びつつ記すことにした。
 大塚平安教会のすぐ近くにある信号「大塚本町」は、今は地名もなく、近くにあった相鉄線「大塚本町駅」もなく、信号の名称だけが残されている。その「大塚本町駅」は今の「かしわ台駅」東口付近にあったが1975年に廃止され、「かしわ台駅」と「さがみ野駅」ができたのである。従って、私が赴任した1979年には今の「かしわ台駅」であるが、前任の乙幡和雄先生の時代に二つの駅が新設されたのである。その時、「大塚本町駅」が廃止されるので、せめて改札口は残してもらいたいとの住民運動を担った一人が乙幡先生である。相鉄はこれを受け入れ、「かしわ台駅東口」を設けたのである。東口からホームまで350メートルもあるという、その長さは日本一であるとか。大塚平安教会に来る人は、一度来たら忘れられないホームの印象となっている。




「大塚本町」信号付近図。
小さくて見えにくくなっているが。



 昔は教会の付近には食事どころがいくつもあり、礼拝後は結構皆さんが利用していた。教会牧師館のすぐ下にお蕎麦屋さん④「いなり庵」があった。美味しいおそばを提供していたので、教会の皆さんも通ったものである。店主が倒れて閉店となり、その後「植木ビル」が建設され、その二階にレストラン「グリーンベル」が開店する。ここも何かと利用したものである。牧師館から一跨ぎであり、来客があるとコーヒーの出前もしてもらう。ここの店主は信号の側に?喫茶店「カネタ」があり、そこの料理人が閉店と共に「グリーンベル」を開店させたのである。喫茶店「カネタ」も良く利用したものである。洋食をはじめとしてケーキや飲み物を提供するので、教会学校教師会を終えてはこの店でお茶を飲むのであった。食事会等もここで開いたことがある。その後閉店となるのであるが、コンビニエンス・ストアーになったことはありがたかった。教会にしても個人の生活にしても、足りない物があればすぐに間に合わせることができたからである。聖餐式のパンの用意を忘れても、すぐにこの店で求めることができたのであった。その後、住宅紹介店になったり、今は格闘技のジムになってしまったが、カネタやコンビニの頃が懐かしいというより、教会としては便利であり、ありがたかったのである。
 信号付近には⑥家具店「アカネ」があった。教会としてもいくつか調度品等を購入している。その後は「それいゆ」とかのマンションになり、そこから何人かの子供たちが入園している。特筆しておきたいのは⑦横浜銀行が菊田医院のすぐそばにあったということである。⑧静岡銀行もあり、将来的には「大塚本町駅」付近の発展が展望されていたようである。その頃、幼稚園は保育料を銀行の引き落としとなっていた。これに関しては横浜銀行さがみ野銀行の争奪戦となっていた。赴任した時、学年によって横浜銀行の引き落とし、また他の学年は静岡銀行の引き落としとなっていた。だから銀行としては全面的に請け負いたいのである。私が銀行に行くものなら、すぐに支店長が飛び出してきて来客室に案内され、お茶まで出してくれる。どちらかにまとめることはなかなか困難でもあった。しかし、横浜銀行は大塚本町駅付近の発展は無いと判断し、さがみ野駅付近に転居したのであった。そのため、静岡銀行が近くと言うことで、保育料の引き落としは全面的に委ねたのであった。近くでもあり、その頃は営業員が寄ってくれたので、教会にしても幼稚園にしても、ほとんどが静岡銀行の預貯金となる。ペイオフが騒がれるようになったとき、一つの銀行に集中することはよろしくないということで、他の銀行も利用するようになる。その後、静岡銀行も閉鎖し、大和支店として鶴間に移っている。そのため、地図には記していないが、静岡銀行の斜向かいに平塚信用金庫があり、この信用金庫を利用するようになっている。以前は厚木信用金庫であった。
 「サクラストアー」については前回も触れたが、その他、静岡銀行の前には「スーパー・スエヒロ」が有り、①「東急ストアー」があり、②「植木ストアー」その後「丸正ストアー」等、スーパーマーケットが幾つも近くにあった。「サクラストアー」の後の「うおしち」の他はいずれも閉店し、それぞれ住宅、マンションになっている。大塚本町の信号付近における商売は発展しないようである。横浜銀行が発展の兆しがないことをいち早く察知したのは賢明なことである。しかし、「大塚本町駅」が残っていたら、違った街並になっていただろう。実際、新しくできた「さがみ野駅」周辺は発展している。
 このように記すと、昔は良かったと言いたくなる。今は住宅が次々に建てられている。それこそ教会にしても幼稚園にしても喜びなのである。宣教の課題、幼稚園の取組みが深められているのである。教会の便利さより、人間との関わりが深められていることは、昔ではなく今を喜ばなければならないのである。「大塚本町」の発展を見込んだ人々は撤退していった。商業的な発展ではなく、住宅環境が発展したことは教会の使命が深められたということである。
 それにしても昔は良かったなあ。ちょっとお茶して来る、と言いつついなくなったものである。その頃は携帯電話なんか無く、牧師・園長を捕まえるのは近所の店に行けば良いということであった。