鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記 <72>

 

隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜)<72>
2012年3月16日 「祈りつつ送り出し」 


聖書の言葉
アンティオキアでは、そこの教会にバルナバ、ニゲルと呼ばれるシメオン、キレネ人のルキオ、領主ヘロデと一緒に育ったマナエン、サウロなど、預言する者や教師たちがいた。彼らが主を礼拝し、断食していると、聖霊が告げた。「さあ、バルナバとサウロをわたしのために選び出しなさい。わたしが前もって二人に決めておいた仕事に当たらせるために。」そこで、彼らは断食して祈り、二人の上に手を置いて出発させた。
使徒言行録13章1-3節)



3月も半ばとなり、大分暖かくなってきている。朝も寝床の中で寒さを感じることなく目覚める。だいたい6時頃には目覚めているが、蒲団の中でラジオを聴いている。NHKは5時からは「ラジオ朝一番」として、いろいろな分野で放送している。5時までは「ラジオ深夜便」と言うことで放送しているが、これが結構聴かれているということは、深夜でも起きている人がいるのである。眠られない人もいるのであろう。何回か2時頃に目覚め、それはトイレに行くためだが、深夜便を聴いていた。そしたらいつの間にか眠ってしまい、朝まで枕元のラジオが放送されていたのである。それからは夜中に起きてもラジオは聴かない。しかし、6時頃に目覚め、それからは7時半頃まで聴いているのである。牧師、園長在任中は、朝蒲団の中でラジオを聴くというゆとりがなかったようである。目覚めると共に、今日一日の予定を示される。幼稚園、施設等のお話をどのようにするか。仕事の段取りなどを示されているのである。だいたい、朝目覚めると、いつまでも蒲団の中に身を横たえていることはなかった。ある程度、予定を確認すると起きだしていたのである。
ラジオを聴いていると、6時30分からはラジオ体操の時間であるが、まだ蒲団の中である。起きて体操をしようかと思うことがあるが、体操のリズムを聴いているだけで力をもらう気分なのである。番組が進むうちに皆さんからのお便りの紹介があり、これは興味深く聴いている。今日16日の朝は「卒業」がテーマで、いろいろなお便りが紹介されていた。ほとんどは学校の卒業で、本人として、親として、知人として、卒業を喜び、新しい歩みを応援しているのである。中には、仕事の卒業のお便りがあった。46年間、今まで仕事をしてきたが、この3月で退社することになる。定年ということなのか。しかし、4月からは大学生としての生活が始まるというお便りであった。第二の人生は、再び学びの生活になる、感心させられたのであった。
 卒業に関するお便りを聴きながら、私自身もいろいろな卒業が心に示されるのである。何と言っても、ドレーパー記念幼稚園の園長として、多くの子供たちを送りだしたことである。卒業する子供達の頭に手を置いて、祝福のお祈りをしつつ卒業証書を渡すのであるが、頭に手を置いたそのぬくもりを今も感じているのである。
 ドレーパー記念幼稚園は卒業式と称し、卒園式とは言わない。幼稚園時代の遊びを卒業するのであり、幼稚園は卒園しないのである。送り出した子供達には生涯教育として関わっていきたいからである。そのため、卒業した年の7月には同窓会を開いている。一年生になった子供達が元気に幼稚園に帰ってくるのである。そして小学校を卒業する子供達の同窓会、中学校を卒業した子供達の同窓会を開催している。毎年、春分の日のお休みの日に開催しており、今年も20日春分の日に開催される。久しぶりに卒業した子供達と再会できる事を楽しみにしている。その後は同窓会の開催は無いが、幼稚園後援会が「ドレーパーだより」を年一回発行しており、幼稚園と卒業生のパイプ役を担っている。卒業しても主イエス様のお心をもって、力強く、元気に歩んでいただきたいと祈っているのである。そして、幼稚園の母体である教会の存在を常に示しているのである。
 卒業式は子供たちを送り出す時であるが、それは祈りつつ新しい世界に送り出すということである。卒業証書を渡しながら、牧師・園長が、卒業する子供の頭に手を置いて祝福のお祈りをささげる。「神様を愛し、人々を愛する人になりますように」と祝福のお祈りをして送り出していた。従って、ドレーパー記念幼稚園の子供たちは祝福が基となって成長していると信じている。子供たちは祝福をいただく姿勢が上手である。それは誕生会で祝福のお祈りをいただいているからである。4歳児で入園すれば卒業までの2年間に2回の誕生祝福を受ける。さらに11月の祝福式、これは希望者になるが、ここでも祝福を受けている。そして、幼稚園は祝福礼拝を行うのであるが、この時はクラス毎の祝福で、皆で一緒に祝福をいただくのである。従って、卒業式までに6回の祝福をいただいているのである。そして、卒業式の祝福は、しっかりと祝福をいただいて巣立っていく。静かに頭を下げる子供の頭に手を置く時、主イエス様の祝福が力強く与えられたと信じている。




誕生会で祝福のお祈り。
「神様のお恵みと祝福がたくさんありますように」と祈りつつ。


11月の祝福礼拝。クラス毎に祝福をいただく。



卒業式。祝福の祈りをささげながら卒業証書を渡す。



卒業式後、先生達が祈りつつ送り出している。



 キリスト教主義の幼稚園を卒業した子供たちは、イエス様のお心をしっかりと示されている。しかし、子供たちはイエス様の教えは何であったか、忘れてしまう。実際、同窓会で聞いたことがある。「イエス様の教えてくださったことって何?」との問いに、「忘れた」と言う子供が多い。中には「お友達を愛すること」と健気に答えてくれる子供もいる。しかし、中学、高校、社会人になって、どれだけ心に示されていることであろう。教えは忘れて行く。しかし、忘れないことがある。むしろ身についていると言った方が良い。それは、神様に向かう姿勢である。社会の中で、いろいろな人間関係の中で、基本になっている神様に向かう姿勢が、一人一人を支えていると思っている。その意味でも、ドレーパー記念幼稚園において、卒業生を送りだすこと、大切な使命であるのである。
 今は、六浦谷間の生活をしながら、頭に手を置いたぬくもりを感じている、その卒業生たちを、連れ合いのスミさんと共にお祈りしている日々なのである。