鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記 <62>

 

隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜)<62>
2012年2月22日 「祝福を祈りつつ」

 

聖書の言葉
イエス・キリスト使徒ペトロから、ポンとス、ガラテヤ、カパドキア、アジア、ビティニア、の各地に離散して仮住まいをしている選ばれた人たちへ。あなたがたは、父である神があらかじめ立てられた御計画に基づいて、「霊」によって聖なる者とされ、イエス・キリストに従い、また、その血を注ぎかけていただくために選ばれたのです。恵みと平和が、あなたがたにますます豊かに与えられるように。
(ペトロの手紙<一>1章1-2節)



 去る17日は「神の庭・サンフォーレ」の協力委員会が藤沢のサンフォーレ本社で開催された。藤沢に行くルートは私の住む六浦駅から京急線横浜駅に行き、そこからJRで藤沢に抜けるルートと、六浦から逗子駅に行き、そこからJRで大船駅に行き、乗り換えて藤沢に行くルートがある。横浜回りは乗り換えが一度であるので便利であるが、逗子周りは乗り換えが二度あるにしても、こちらは情緒があってよろしいと思うものだから、いつもそのルートを使用している。京急逗子駅からJRの逗子駅まで少し歩くことになるが、街並を見ながら歩き、JR逗子線は鎌倉、北鎌倉を通るので、車窓の景色が楽しいからである。大船駅で乗り換える時、このままであると早すぎることもあり、大船駅の駅ビルに本屋さんがあるので寄ることにした。いつものことながら、買う予定もないのに本屋さんに寄るのを楽しみにしているのである。出かけることがめったに無くなった現在、せめて出かけた時には本屋巡りをしたいとの思いがある。
 立ち寄った本屋さんでは、少し驚いたのであるが、ほとんど入口付近にヨーロッパの観光地に関する本を置いていることであった。多くの場合、観光に関する書物は、結構奥まったところに置いている。しかし、この本屋さんは入ったところに置いているのである。それだけヨーロッパの観光に感心が寄せられていると思ったのである。最近、夜の団らんのテレビはドタバタ番組で面白くなく、それに対してBSはどこかのチャンネルがヨーロッパの街並を紹介している。だから7時、8時、9時のどこかのチャンネルを見るのを楽しみにしている。最近はヨーロッパの観光、歴史に焦点が当てられているようである。われわれのような年齢を加えたものは、今のドタバタ騒ぎの番組は見たくないのである。そんな世の中の情勢を反映してか、最近はテレビにしても本にしてもヨーロッパや世界の国や街を紹介するものが多い。
 ところでヨーロッパの国や街を紹介している本の中に「世界のポスト」という本を見出す。書名を見た時、心が躍るようであった。世の中には私と同じようにポストに関心を示している人が居るんだと思ったのである。バルセロナ滞在中、スペインのポストに興味を示したことについては、その時のブログ「スペイン滞在記」、2011年4月12日「買い物」で記している。また、ブログ「隠退牧師の徒然記」、2011年10月14日「満足を遠ざける」、11月16日「物語の担いて」、11月18日「きえぬ便りもかぜなれば」等で郵便ポストについて思いを記している。ポストには物語があり、人間の情緒が凝縮されていると記しているのである。そのためか郵便ポストには関心を寄せているのである。同じように関心を示している人がいるとは。
 「世界のポスト」は世界各国の190種のポストが紹介されている。190種であっても、同じ国のポストを複数にわたり紹介しているので40ヶ国くらいである。紹介されているポストは、どちらかと言えば地方にあるポストが多いようである。ニューヨークのポストは山岳部に置かれているものである。市街地に置かれているポストはあまりない。むしろ、長閑な風景の中に調和するポストという感がある。日本のポストとしては、青森県蔦温泉旅館の玄関先に置かれた赤い丸型ポスト、山口県下関の寺の門前に置かれている黄色い丸型ポストの二つである。これらの郵便ポストを見ているだけでも、なんとなく物語が示されて来るのである。




書店で見つけた本「世界のポスト」。
心を躍らせて手に取る。




 それにしても物語としての郵便ポストが、近年はあまり利用されなくなっている。利用されるのはダイレクトメール、チラシ広告、いろいろなお知らせ、新聞受け等の利用であり、物語である手紙としては、利用されなくなりつつあるということだ。自分の気持ちはパソコン、携帯等で伝えれば良いし、電話で済ませるからである。自分の気持ちを整理しながら手紙に書くということが薄れているのである。手紙には文章の行間にも思いが記されているのである。メールにはそれが無いとは言わないが。しかし、文章を書くということには、昔から得手不得手があり、ほとんど手紙を書かない人もいるので、手紙を書くのが当たり前と言っている訳ではない。便箋を置き、ペンを持つものの何を書いて良いか分からないという人もいるのである。
 昔は、趣味を尋ねると「文通」という項目もあった。高校生の頃、「学生週報」という雑誌が発刊されることになり、事前に意見を求める広告が書店に掲げられていた。それで私は文通についてのマナーを記して投稿したのである。「文通を始める場合、まずハガキで自己紹介をして、それから文通を始めるべきではないか。そうでないと家族が心配するからである」という内容であったと思う。そうしたらその意見が採用されて、発刊された雑誌に掲載されたのである。雑誌が発刊されて間もなく、何通かは忘れたがかなりのハガキを受け取ることになる。昔の趣味と言えば、そんなものがあったということである。手紙を書くという趣味は、今では全く聞かなくなってしまったことである。
 私の今の趣味として言うとしたら、やはり「文通」を上げるだろう。しかし、相手は忙しく、なかなか文通仲間という存在には出会えない。用もないのに手紙を送ること自体、気が引けるのである。
六浦の自宅には、両親が健在の頃に使っていた座り机があるので、その机の前に座り、便箋を置き、愛用の万年筆で、相手のことを心に示されながら、しみじみと手紙をしたためようか、と思うようになった。しかし、椅子に腰かけることが多くなって、正座するのがおぼつかなくなっているので、まずは正座の練習から始めなければならないのであるが。



昔の座り机。この前に座り、手紙を書く日々を思いつつ。