鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

青少年の育成( 交わりが活発になるようにと )

 
 昨日から今日にかけて日本基督教団東海教区の有志の皆さんが、教団書記を務めた私の慰労会を伊豆長岡温泉で開いてくださったことについては昨日の日記に記しました。今日は朝から温泉に入り、朝食をいただいてから帰途につきました。家に着いたのは午後1時頃でした。今日は朝から温泉に入り、いまだにその温もりを感じつつ過ごしています。時には温泉に入ること、精神的にも肉体的にも癒されるということです。これからはそうするようにしましょう。
 毎週火曜日に「いのちのことば社」がロックハイラックスとしてメールで配信して来ます。キリスト教界の情報を知る意味でも、配信されたものを読んでいます。その中で「今日は何の日」の項目があり、ボーイスカウト運動の始まりが紹介されていました。1907年にイギリスではじまったということです。
 紹介によると、「ボーイスカウトは、健やかな子どもを育成しようとする世界運動。その始まりは、英国の退役軍人だったロバート・ベーデンーパウエル卿(1857〜1941)が、インドや南アフリカでの体験をもとにさまざまな野外教育を通じて、少年たちがたくましさを身につけ、将来社会に役立つ人間に成長することを願い、1907年のこの日、20人の少年たちとともにブラウンシー島で実験キャンプを行ったことに始まる。翌年『スカウティング・フォア・ボーイズ』という本を著し、少年たちの旺盛な冒険心や好奇心をキャンプ生活や自然観察、グループでのゲームなどの中で発揮させ、「遊び」を通して少年たちに自立心や協調性、リーダーシップを身につけさせようとし、世界的な運動へと広まった。」ということです。
 実は私も若いときにボーイスカウトに興味を示し、指導者養成研修会に参加しました。神学生の時ですから、23、4歳の頃だと思います。立教大学の敷地内で開催されました。二泊三日の研修で、実践的にいろいろなことを学びました。いつか、どこかでボーイスカウトを指導したいと思いましたが、今日に至るまで行いませんでした。宮城の教会に赴任した時、隣の教会の牧師がボーイスカウトの指導を行っていました。制服を着て、なんとなく子どもの軍隊という印象があり、活動することにためらいがあったのです。しかし、研修で学んだことは結構生かしていました。例えば、紐の結び方や飯盒炊爨(はんごうすいさん)の仕方などは、教会学校の夏期学校等で大いに役立ちました。それから子ども達の楽しい集いの持ち方等も教えてもらいました。実際のキャンプファイヤーのやり方も研修したのでした。中でもニュージーランドマオリ族の踊りはいろいろな場で披露し、喜んでもらえたのです。
 マオリ族の踊りは、まず神学校の修養会で行いました。親睦会の司会をしたとき、マオリ族の踊りをみんなで踊ったのでした。この踊りはマオリ族の神様にささげる踊りなのですが、体全身を動かすことの楽しさを堪能したというわけです。当時の岡田五作校長先生も一緒に踊ってくれました。この際、偶像礼拝だなどと野暮なことは言いませんでした。これで自信を得たので、その後の教会では、夏期学校のキャンプファイヤーといえばマオリ族の踊りが習わしになりました。東北教区では教育委員を担い、作並のYMCAで開催された教区の中学生キャンプでも参加者に踊ってもらいました。皆で楽しく踊るものですから、YMCAの遊びの指導者達が、「やるねえ」と言ったものです。そして、大塚平安教会になるのですが、だんだんエスカレートして、キャンプファイヤーでは上半身裸になり、肌にはいろいろな色を塗り、子ども達の中心になってマオリ族の踊りを楽しんだのでした。そのうち、教会学校の女性の教師が、酋長の娘と称して中心で踊るようになりました。若かった牧師の楽しい思い出でもあります。
 今はボーイスカウトより、サッカーや野球に人気があります。教会学校こそ青少年の楽しい育成の場でありたいと願っているのですが。
<聖書のことば>
わたしたちの間でキリストのためになされているすべての良いことを、あなたが知り、あなたの信仰の交わりが活発になるように祈っています。
(フィレモンへの手紙6節)