鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

謹賀新年( 心を新たにしつつ )

 
 あけましておめでとうございます。昨年は激動の歩みでありましたが、皆様の温かいご支援をいただきながら歩むことができました。心から感謝申し上げます。今年は、ゆっくりと元日を迎えました。お天気も快晴で、日本海側では大雪情報であり、良いお天気なので申し訳ないと思いました。2011年の歩みの上に、皆様に祝福が豊かにありますようお祈り致します。
 今日はお昼頃からは雲が多くなり、日差しが隠れたりするので干していた布団を入れました。お正月というのに布団を干したりするのは、今日は夕方には子供たちが来ることになっており、普段使ってないので、干して温かくするためでした。あまり陽に当てないので温かくなったかどうかです。朝のうちは雲一つなく、今日は元日なので初日の出を見に行った人もいるでしょう。町内の掲示板に、浅間神社からの初日の出参拝案内がありました。初日の出でなくても、日の出は感動的です。過去、何回か経験し、今でもその時の感動を思い出しています。一つは富士山山頂で見た日の出です。青年の頃、二十歳頃でした。友達4人で富士登山を行いました。夜から登り始め、山頂につきましてもまだ日が昇っていません。日が昇ってしまったら意味がないのです。日の出を見るために夜登るのですから。それもそうですが、8月の登山ですから日中ですと暑くて大変なのです。その意味でも夜の登山になるのです。やがて東の空が白々と明るくなってきました。もう出るぞ、もう出るぞと胸を躍らせながらその瞬間を待ちました。太陽の端がちょっと顔を出しました。すると暗闇の世界が見る間に明るく見渡せるようになりました。太陽は見る見るうちにその姿を現したのでした。するとあちらこちらで声が聞こえました。一斉にお祈りが始まったのです。修験者の人々がいます。一様に太陽に向かってお祈りしているのです。私達は教会の青年達であり、讃美歌を歌ったのでした。この登山から2年後にも富士山に登っています。この時の友達は教会の青年ではありませんでしたので、山頂で日の出を見る喜びを共にしたのでした。
 もう一つの日の出はアラビア半島シナイ山で見ました。1995年12月29日から1月7日まで聖地旅行をしました。シナイ山に登り、日の出を見たのは12月31日でしたから初日の出ではありません。終わりの日の出ということでしょうか。旅行記を2006年12月31日のブログで記していますので、抜粋しながら掲載しておきます。
「31日午前1時15分に起床、2時にバスで登山口まで乗る。その地点は既に1,500メートルの高さである。そこにはラクダが待っていた。このラクダに乗って八合目付近まで登る。ラクダに初めて乗ったが、ラクダに跨ると、ラクダは後ろ足で立ち上がり、続いて前足を立ち上げる。立ち上がるとき、鞍に強くつかまっていないと落駝してしまう。乗ってしまうと、ほんとに楽な気分である。暗い夜道なのにラクダを連れて歩く人もラクダも、すいすいと上っていく。帰りは歩いて下ってきたが、こんな崖っぷちをラクダに乗って通ったと驚き、改めて冷や汗が出るようであった。ラクダに乗ること1時間30分、八合目と思われる。そこからは歩いて頂上を目指す。かなりきつい登り坂であった。登ること1時間。5時30分、ついに2,285メートルのシナイ山頂上に達する。しかし、まだ暗く日の出には間があった。日の出まで1時間待ったが、その間あちらこちらで話し声が聞こえていた。かなりの人たちがこのシナイ山上にいるようであった。やがて雲上のかなたが白々としてきた。そして赤い炎のようなものが見えた瞬間、あたりが明るくなった。その時、イスラム教のコーランを唱える人々、何やら唱える人々がそれぞれ感動をもって日の出を見つめるのであった。私たちも礼拝をささげた。」
この歳になると日の出を見に出かけることなど考えませんが、新しい出会いの基本的な姿としたいです。この年も新しい出会いを喜びつつ歩むことをお祈りしたのでした。
<聖書の言葉>
新しい歌を主に向かって歌え。主は驚くべき御業を成し遂げられた。右の御手、聖なる御腕によって主は救いの御業を果たされた。
詩編98編1節)