鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<293>

隠退牧師の徒然記(2013年7月20日〜)<293>
2014年10月10日「ご来光の意味するところ」


聖書の言葉
「初めに、神は天地を創造された。地は混沌であって、闇が深淵の面にあり、神の霊が水の面を動いていた。神は言われた。『光あれ。』こうして、光があった」。
(創世記1章1-3節)



 2014年10月8日は皆既月食で夕方を楽しみにしていた、午後6時過ぎに皆既月食が始まるのである。月食は午後6時28分から7時20分であり、テレビに映し出された月食を見ることが出来た。しかし、横浜市金沢区の上空は雲に覆われており、実際に見ることはできなかった。その時間に外に出て上空を仰いだのであるが、月食どころではなかった。テレビに映し出されている月食も栃木や仙台あたりから撮影されたものであり、翌日のパソコンには北海道で撮影された月食が紹介されていたのである。それでも、実際に見たのではないにしても、テレビで幻想的な月食を見ることができ、なんとなく感動を覚えたわけである。月食の幻想的な色合いと日本中がまだ興奮している青色LEDの光を並べて紹介しているあたりはさすがと言える。
皆既月食の感動とは何であるか、なんて考えてみる。月が地球の陰で見えなくなり、再び見えてくるという珍しい光景であるが、人間は現れてくる「光」に喜びがあるのであろう。聖書の始め、旧約聖書はまず光の到来を記しているのである。「神は言われた。『光あれ。』こうして、光があった」。まず光の到来がある。そこから物事が始まっていくことを人間は心得ているようである。
 若い頃、富士山に二度も登ったことについては、最近もこのブログに書いたばかりである。富士登山は夜のうちに登るのである。昼間は暑くて登山は困難ということもあるが、何よりも頂上でご来光を見ること、あの感動は忘れられない。だから一度登っているのに、二度も登るのは、あの感動をもう一度と言うわけなのである。夜のうちに、狭い登山道で人の背中を見つめながら登るのであるが、頂上についてもまだ暗い。案内書に従っているので、何時頃から登り、何時頃には頂上にいればご来光を拝めるとの指示に従って登るので、案内通り、頂上に達して30分もすれば東の空が白々として来る。じっとその東の空を見つめていると、ポツンと赤いものが浮かび上がる。見る間に辺りが明るくなるのである。ご来光の瞬間である。するとあちらこちらから声が上がる。歓声であり、経を読む声であり、賛美の声なのである。二度の富士登山のうち、一度は教会の青年たちと登ったので、ご来光の瞬間は、我々も讃美歌を歌ったものである。富士山のご来光も、海岸で見るご来光も同じであるのだが、富士山のご来光の方がありがたいのである。
このご来光を外国の空で迎えた経験もある。エジプトのシナイ半島にあるシナイ山の頂上であった。1995年12月29日から1996年1月7日まで、念願の聖地旅行を行う。この聖地旅行ツアーはエジプトからシナイ半島、そこからエイラットに向かいエルサレムを目指すものである。そしてエルサレムからガリラヤ、テルアビブを目指すので、イエス様の救いの道順を逆に回るものであった。それにしても最初にモーセの救いの道順を辿ったことは、良い学びの時になったと思う。カイロからバスに乗りシナイ半島を目指すのであるが、一日中バスに揺られていたと思う。そして夕刻、ようやくシナイ山の麓に到着するのである。いわゆる聖書の人々が奴隷の国エジプトから三ヶ月を経て到着し、宿営した場所である。夕食をしながらも、明日は午前2時に出発し、シナイ山に登るので、早めに食事を済まし就寝してください、とツアーの添乗員の注意を聞いている。このツアーには親しい友人の、当時川崎教会の山鹿昭明牧師も参加しており、二人でビールなどを飲みながら、ツアーの最初の夕食を楽しんでいたのである。それでも、やはり長旅で疲れており、すぐに就寝するが、あっという間に起床しなければならなかった。
朝、暗い中をツアーの一行が歩いていくと、ラクダの集団に行き渡る。ラクダの乗り方を教えられながら、それでもラクダが立ち上がると、すごい高さにいるようであった。しかし、暗いので周囲の状況がわからない。そのままシナイ山の登山が始まるのである。ラクダを連れている人が時々掛け声を出してラクダを励ましている。どのくらいラクダに乗ったのか。胸突き八丁の場で降り、あとは急な道を歩いて登って頂上に達したのである。まだ暗い。しかし、周囲は分からないが人の気配を感じる。しばらく暗い中に座っていたが、東の空が赤くなり、太陽が顔を出す。山々の岩肌を赤く染めながら明るくなっていく。そのとき、コーランを唱える者、何やら叫んでいる者、我々は讃美歌を歌ったのであるが、あちらこちらで喜びの声が挙げられているのである。光が現れること、こんなに大きな喜びとなるのである。
皆既月食も再び月の光が現れる喜びではないだろうか。光が見えなくなり、再び光が与えられる喜びなのである。だから朝の喜びが大きいのである。今日も朝の光をいただき、喜びつつ起き上がったのである。



2014年10月8日の皆既月食
テレビで、仙台で観察されていたものを写真に収めておく。



1995年、聖地旅行で、最初はシナイ山へ。
山頂にてご来光を喜ぶ。