鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

スペイン滞在記 <38>

 

スペイン滞在記(2011年4月4日〜5月18日) <38>
2011年4月29日「モンセラット」
 


今日はSYさんにご案内いただいて、星子と私がモンセラット見学を果たした。スミさんは数年前に見学しているので留守番である。SYさんはバルセロナ日本語で聖書を読む会の中心メンバーで、こちらに来て何度かお交わりをしている。モンセラット見学については、4月19日にご案内いただく予定をしていたが、私がウィルス性風邪でダウンしてしまい果たせなかったのである。SYさんは、ぜひモンセラットは見学して欲しいと、ご自分の予定に入れてくれたのである。
 SYさんが12時に迎えに来てくれた。地下鉄でエスパーニャ駅まで行き、そこからカタルーニャ鉄道でモンセラット方面行きの電車に乗る予定であったが、電車は1時間に1本なので、予定している電車に間に合わないかも知れないとタクシーでスペイン広場に行った。そこにエスパーニャ駅があり、モンセラット方面行きの電車に乗ったのである。車窓に見える景色を見ながら、SYさんと歓談し、1時間30分後にアエリ・デ・モンセラット駅に着く。そこから登山電車に乗る。かなり急傾斜を登っている。自力なのかなと思ったが、やはり引っ張っているのである。10分ほどでモンセラットの山頂駅に着く。
 

奇怪な岩山を背にして修道院が佇む


荘厳な礼拝堂。静かにお祈りしている人も



下の電車の中でも見えていたが、モンセラットの異様な景観を仰ぐ。「モン」は「山」であり、「シェラット」は「のこぎり」であるので、「のこぎり山」なのである。日本にも「のこぎり山」と呼ぶ山があるが、それらは石を切り出した後である。しかし、こちらは自然の山であり、奇怪な形をした岩山がいくつもそびえ立っている。一番高い山は標高1235mである。モンセラットは奇怪な岩山の麓に修道院が建てられていることで有名なのである。この修道院にはラ・モレネーターと呼ばれる黒いマリア像が祭られている。これがメインでもある。荘厳な修道院もさることながら、黒いマリアさんを見ようと見学者が絶えないのである。修道院は実際に宗教活動を行っている。一日に数回にわたりミサが行われている。午後1時と6時45分からは少年聖歌隊の合唱が行われる。この聖歌隊の合唱を聞こうとして来る人も多い。残念ながらこの時間には間に合わなかった。礼拝堂の入口付近に花びらが散らばっていた。SYさんの説明によれば、結婚式が行われたのだと言う。1月1日には1年分の予約がすぐに満杯になるとか。
 

黒いマリア像。多くの人が参拝、見学に訪れる



山頂駅からさらに上に延びるケーブルカーは、傾斜率45度とも思われる。そのケーブルカーに乗るには勇気が入るようだ。それに乗ればモンセラットの頂上付近まで行かれるのであろうが辞退した。あんな急傾斜で登る気にはならない。修道院を見学してから昼食をとることにした。レストランは大学の学食みたいに、お盆を持って歩き、食べたいものを取るのである。最後にレジで清算することになっている。私は鳥の丸焼き半分にポテト、茹なすの味付け、そしてパンである。ワインの小瓶も盆に載せた。星子はソーセージを取っていた。SYさんはマカロニスープを取っていた。
 

赤く見えるのは、祈りのローソク


以下、モンセラット公式案内書を抜粋しておく。「モンセラットを訪れるのは、カタルーニャの主な象徴の一つを知ることです。山に登り美しい景色を眺めることです。カタルーニャの歴史に触れることです。神聖な社への道順を一歩一歩たどることです。ベネディクティン派の修道院に迎えられることです。しかし、それが全てではありません。何故ならば、モンセラットは、単に長い歴史を持つ岩山というだけではないからです。モンセラットは、多くのキリスト教信者にとって神との出会いの場所なのです。モンセラットは、またもっと多くの人々にとって『和解』と『博愛』の場所なのです。だから、モンセラットを訪れるということは、ただ単に観光地を訪れるという事ではないのです。モンセラットを訪れるという事は、祈りと連帯と祭礼の場所であり、修道院でもある神聖な社に近づく事でもあるのです。モンセラットにようこそ。神の平和が皆様に共にありますように。」
 羊子の家からモンセラットまで2時間を要する。帰宅したのは午後7時30分頃であった。今までにもいくつかの教会を訪ねたが、モンセラットが一番宗教的であったように思える。