鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

残された手紙 ( 愛を知らせるために )

 
 年賀状を書く時期になりました。毎年、500枚くらいの宛名書きをしています。まず、教会関係に150枚、個人関係で250枚の宛名を書いています。しかし、今年はそんなに書く必要がありませんが、状況が変わった挨拶も含めて、個人的にもたくさん出さなければならないようです。今は便利なソフトがあり、きれいな文字で出力してくれますし、たとえ1000枚でも簡単に年賀状書きを終えることができます。しかし、私は直筆で書くことにこだわっています。宛名を書き、お名前を書きながらその人を心に示され、安否を尋ねながら書いているのです。一年に一度のお便りである年賀状は、手紙を書く機会が少ないので良い習慣だと思っています。
今の時代は、伝えたいことがあればパソコンのメールや携帯電話のメールで伝えることができます。メールは送信しても、本文は残ることになります。それがそのまま記録になるのです。しかし、手紙の場合は、コピーでもとらない限り残りません。相手が保存しない限りは。
今日は身辺整理をしました。いろいろな書類を整理しているうちに、思わぬものが出てきたのです。昔、私が両親にあてた手紙です。父が几帳面に残しておいてくれたのです。父の死後にいろいろと整理をしたとき、手紙類や日記類等まとめておいたのですが、私の両親への手紙を私自身が拾い上げて、しまっておいたようです。改めて読み直しました。
1976年と言えば、私たちが宮城県の陸前古川教会に赴任して3年を経ていた時であります。私が37歳の時であります。12月16日の日付で手紙を両親に送っています。
「拝啓。皆様お元気で何よりです。家の整備も順調に進んでおられる由。先日のお手紙により詳しく知ることができありがとうございました。さて、前便にて私の入院のことを知ったと思いますが、心配には及びません。腰痛で、他は大事無いので、入院と言っても元気そのものです。既に一ヶ月入院し、大分良くなり、間もなく退院できるでしょう。本来、入院はしないつもりでいたのが、教会の皆様がしきりに勧めてくれたので、甘えて入院したのです。丁度、入院する頃、村山にいるおばあさん(連れ合いの母)が来てくれましたので、子供たちも寂しがることなく助かりました。おばあさんは18日頃、村山の方へ帰ることになりました。同封の写真はクリスマスカードに付けて皆さんに送ったものです。羊子は7歳、星子は5歳、百合子は2歳7ヶ月になりました。みなそれぞれ元気に成長しております。同封のものはわずかばかりですが、何かの足しにしていただきたくお送り致しました。それでは良いお正月をお迎えくださいますよう。重ねて言うように、入院していることでご心配には及びません。家内からもよろしく申しております。」
1977年6月23日付の手紙。
「前略。過日はありがとうございました。いただいたお金で子供たちに腕時計を買って帰りましたら、とても喜びました。おもちゃでなく本物です。と言っても、おもちゃのような本物で、上野のアメヤ横町で安く売っていたので買いました。三人に同じものを買いましたが、百合子にはまだ早いようで、お出かけの時だけと言ってしまってしまいました。私どもはこの夏にはそちらに行く予定です。予定では8月8日から13日までの一週間といたします。日曜日をあけるわけにはいかないので忙しいです。一週間、ごたごたと大変でしょうが、よろしくお願いします。同封のものは、先日、いわゆるボーナスみたいなものが出たので送りました。何かの足しにしてください。」
改めて、この手紙を書いた時代を思い出します。また、両親や姉たちの祈りを示されています。両親がこの手紙を大切に保存してくれたこともありがたく思っています。書くということは歴史に刻むということなのでありますし、それぞれの思いが残されるのです。
<聖書の言葉>
わたしは、悩みと愁いに満ちた心で、涙ながらに手紙を書きました。あなたがたを悲しませるためではなく、あなたがたに対してあふれるほど抱いている愛を知ってもらうためでした。
(コリントの信徒への手紙<二>2章4節)