鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

決戦・高田馬場( 巧みな議論に注意しつつ )

  
 昨日は三役会の食事について記しましたが、西早稲田にはキリスト教会館があり、日本国内にあるキリスト教の団体の多くがそこに事務局を置いています。日本基督教団もこの会館の中にあります。また会議室もあり、諸委員会がそこで会議をしています。三役会は議長、副議長、書記と共に幹事の皆さん、総幹事を含め7人の幹事も出席し、教団内の動きを確認し、協議します。その上で常議員会に臨みます。常議員は二年に一度開催される日本基督教団総会で27人が選ばれ、三役を入れて30人が常議員会の構成員となっています。総会の休会中は常議員会が教団の歩みを協議しながら歩むのです。常議員会は年に二回または三回の開催となります。議長提案の議事及び常議員提案の議事を協議することになっています。
 常議員会の他に常設委員会があります。宣教委員会、教師委員会、信仰職制委員会、教師検定委員会、予算決算委員会、世界宣教委員会です。常設専門委員会としては伝道委員会、教育委員会、社会委員会があります。その他、常議員会の下におかれた特別委員会があります。これらの常議員会、諸委員会が協議を重ねつつ日本基督教団の歩みを担っているのです。最高決議機関は総会でありますから、総会で決められた方向に沿いながら協議しているということであります。ところで協議に臨む選ばれた人たちは、いろいろな考え方を持っていますから、議論が錯綜し、なかなか一つの結論に至らないことがあります。三役の路線には最初から反対する人々もおり、常に篤い議論になっています。最近の議論は戒規問題が重い課題となりました。
 日本基督教団は教憲・教規が定められており、日本基督教団総会も教憲・教規に従って会議を行っています。各教会・伝道所、教職・信徒も教憲・教規の定めの中で信仰が導かれているのです。教憲・教規には聖餐式が定められていますが、主イエス・キリストの十字架の贖い、救いを信じて洗礼を受けた者が聖餐式に与ります。まだ洗礼を受けていない人、または幼児洗礼を受けていても信仰告白をしていない人は聖餐式に与ることができないのです。ところが教会により、また牧師の姿勢において、洗礼を受けていなくても聖餐式に与らせる事例が出てきました。聖餐式は広く開かれており、求道者にも開かれていると解釈しているのです。日本基督教団の山北宣久議長は数年前から、教区総会への教団議長挨拶の中で、未受洗者配餐は教憲・教規に違反することであるので、行わないように繰り返し求めてきました。そういう中で、公に未受洗者配餐を執行していると言いあらわす人が出てきました。教憲・教規があるなかで、その主張は誤りであるのです。その未受洗者配餐を執行している牧師に対して、戒規申立を行う人が教師委員会に提訴しました。教師委員会は申立を受理し、審査してまいりました。ついに教憲・教規違反と言うことで戒規に処すことが決められました。戒規に処せられた牧師は上告しました。そこで常議員会は審判委員会を組織し、上告につき審判をしたのです。そして、審判の結果が出されました。教憲・教規に違反して未受洗者配餐を行う牧師に対して「免職」の処分が出されました。
 この未受洗者配餐の問題をめぐっては、日本基督教団内で議論が二分し、常に議論となっているところであります。次回の常議員会は、第36総会期では教団の会議室でなく、総会が開催される池袋のホテルメトロポリタンの会議室で開かれます。常議員会に続いて二泊三日で日本基督教団総会が開催されますが、免職になった牧師をめぐって激しい議論が繰り広げられるでしょう。免職になったとしても、悔い改めて未受洗者配餐をやめることになれば、いつでも復帰できるのです。この免職は悔い改めを求めているのであり、切り捨てではありません。
<聖書の言葉>
この人々が心を励まされ、愛によって結びあわされ、理解力を豊かに与えられ、神の秘められた計画であるキリストを悟るようになるためです。知恵と知識の宝はすべて、キリストの内に隠れています。わたしがこう言うのは、あなたがたが巧みな議論にだまされないようにするためです。
(コロサイの信徒への手紙2章2-4節)