鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

三役会の食事( 主が共に食事をし )

  
  
 今日は日本基督教団の役員会が午後1時30分から開催されるので、午前11時頃に自宅を出ました。しかし、その時間では遅かったのです。実は、役員会の時には、毎回ではありませんが、議長・副議長・書記の三役が12時30分から昼食を共にしていました。その時間を失念しており、午後1時30分の時間しか頭になかったのであります。京急品川駅で乗り換え、山の手線で高田の馬場駅へ向かうときになって気がつきました。食事は、いつも西早稲田キリスト教会館の近くにある「紅梅」という食事処です。結局、その店についたのは12時50分頃でした。議長と副議長は既に食事を済ませておりました。お先に会議場に行かれるよう申し述べたのですが、お二人は私が食事を済ませるまで待っておられました。
 この三役による食事も今日でおしまいになります。8年前に山北宣久議長、小林眞副議長が選ばれ、そして私が書記に指名されて三役が決まりましたが、気持ちを合わせる意味でも役員会前に昼食を共にすることにしたのです。役員会は月に一、二回の開催です。午後1時30分からの開催の時は食事を共にしていましたが、午後2時に開催の時もあり、その時は食事を共にしませんでした。12時30分からですので、お店も空いて来る頃で、いつも指定席のようにして同じテーブルでした。しかし、今日は結構混んでいましたので、指定席は取れませんでした。「今回で終わりですね」としみじみと語りあったのです。
 このお店は夫婦で賄っていますが、80歳を過ぎたと思われるおばさんがお店の接待をしていました。私たちと顔なじみになり、行くたびにポケットティッシュペーパーをくれるのです。それも二つもくれたり、時には一口羊羹をくれたりするのでした。このおばさんを忘れられないのは、いつものように食事をしていると、他のお客さんの食事の後かたずけをしていたおばさんが、持っていたお盆が傾いてしまい、器や醤油が私の足もとに散乱しました。醤油が足もとにおいてあったカバン、靴などにかかってしまいました。おばさんは恐縮して、何回も何回もカバンや靴を拭いてくれるのです。もういいですよと言っても拭き続けていました。そして、帰るときにはクリーニング代と言って封筒を差し出しました。何回も断りましたが、受け取った方がおばさんの気持ちが晴れると思い、収めたのです。千円札が入っていました。
 以前、いつものように12時30分にこの店に行くと、小林副議長が店の前に立っているのです。「しばらくお休みします」と入口に書いてありました。やむなく道路を挟んで食事処の「川内」という店があり、そこで食事をすることになりました。2、3ヶ月はお休みであったと思いますが、いつの間にか復活したのです。それからはまた、12時30分の食事となったのです。いつも食事をしながらも話しているなかで、やはりキリスト教の話題が聞こえていたのでしょう。店を出るときには、「これからキリストさんの会議ですか」とおばさんが言うのでした。
 小林眞前副議長とは6年間、佐々木美知夫副議長とは2年間、そして山北宣久議長とは8年間、この「紅梅」と言う食事どころで、昼食を共にしたということです。このようなところで大事なお話はできません。お互いに教会の動向や、個人的な動向等を話し合い、親交を深めていたのです。教会での苦労話もすることになり、重荷のはけ口になったことも確かです。もはや三人でこの店における食事はありませんので、歴史の番外編として記しておきました。
 教会は何かと食事をする機会があります。大塚平安教会で牧会している頃は、三大祝祭日にはポトラックの食事でした。皆さんがそれぞれおいしいお料理を持ち寄っての集いです。私たちの送別会では、このポトラックの食事を望み、お別れの食事としたのでした。横浜本牧教会は婦人会の皆さんがいつもお弁当を作ってくださいました。お別れ会では私の大好きなお豆腐料理を提供してくれたのです。お食事の交わりは忘れられません。また支えでもあります。
<聖書の言葉>
見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、わたしは中に入ってその者と共に食事をし、彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。
ヨハネの黙示録3章20節)