鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

回想の線路沿いの道( 主の呼び声 )

  
 所用があり、横浜駅周辺に行きました。娘の羊子がスペインにいるので、必要な書類を公正役場で証明してもらうためです。高島屋の裏、JTBのビルがあり、その並びに野村証券のビルがあります。そのビルの4階に公正役場がありました。約1時間もかかりました。そして帰ってきました。自宅からの最寄駅は京浜急行六浦駅です。駅から自宅まで、私の足では13分くらいです。そんなに早足で歩いているのではないのですが、連れ合いのスミさんは20分はかかると言い張っています。駅を出てからは線路に沿った道を歩きます。約500メートルはあるのでしょうか。歩いていると次の電車が通過するくらいです。4月以来、六浦に転居してからは、電車で出かけるときはこの道を歩くことになりました。綾瀬市に住んでいるときは、多くの場合、車で行き来していましたので、あまり歩くことはありませんでした。この道を歩くと、遠い昔の思い出がよみがえってくるのです。中学は公立ではなく私立中学でしたから、3年間、この道を歩き、電車で通学していたのです。そして、高校は県立であり、やはりこの道を歩いて電車で通学していました。日曜日も清水ヶ丘教会が京浜急行南太田駅ですので、電車で通っていたのです。毎日毎日歩いていた道でした。
 私は小学生のころは関東学院教会の日曜学校に通っていました。その経緯については、既に紹介していますので、ここでは割愛しましょう。中学生になってからは、二人の姉たちが教会員である清水ヶ丘教会に出席するようになりました。中学3年生の頃、日曜日、聖書・讃美歌を持って礼拝に出かけます。線路沿いのこの道を駅に向かって歩いていると、二組の姉妹たちとすれ違うのでした。それぞれ上の子は小学校3、4年生であり、一組は3人姉妹で、下の子は低学年、幼稚園児と思われました。もう一組の下の子は低学年のようです。姉妹たちは関東学院の日曜学校に行くようです。私が通っていたのは3年くらい前になるので、その後、日曜学校に行き始めたのでしょう。私は聖書・讃美歌をむき出しに持っていたので、その子たちも私が教会に出席することを察知していたようです。日曜日になるとその道で会うので、いつの間にか会釈をしてくれるようになりました。恥ずかしがり屋の少年は、姉妹たちに声をかけることもなかったのです。とても可愛らしい姉妹たちでした。その後、いつの間にか会うことはなくなりましたが、この線路沿いの道を歩くたびにこの子たちを思い出しています。日曜学校に通って、イエス様のお心をいただいて、祝福の成長が導かれていることを信じたいのです。
 もう一つの想い出は「遥かなる呼び声」であります。まだ、私が小学生の頃であったと思います。父が電車で出かけ、雨降りになったので、父が帰る時刻を見計らって傘をもつて駅に迎えに行ったのです。線路沿いの道を歩いていると、何か後ろの方で叫び声が聞こえてきました。そのまま歩いていましたが、どうも私の名を呼んでいるようです。「ノブハル〜」という声のようです。振り返りました。父らしき存在が、遥かなる彼方で声を出して呼んでいるのです。どうやら行き違いになったようで、私が駅に傘を持って迎えに行ったのを知り、父が追いかけるように線路際の道に来て、500メートル離れたところから、私の名を呼んだのでした。それにしても、よくも大きな声で呼んだと思います。この線路沿いの道を歩くたびに、遥かなる呼び声が耳に聞こえてくるのです。
その遥かなる呼び声が、時々、神様の声と重なることがあります。神様が御心を示しているような、そんな示しを与えられるのです。明日の私を思案しているとき、今課題として示されている道があります。その道を歩むべきか、ゆっくりとくつろいで過ごすべきか、そのような思いを持っているとき、この線路沿いの道を歩くとき、遥かなる神様の声が聞こえてくるようです。神様のお呼びなんだと示されるのでした。
<聖書の言葉>
主は来てそこに立たれ、これまでと同じように、サムエルを呼ばれた。
(サムエル記上3章10節)