鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

横須賀上町教会の講壇( 歴史を導く神 )

 
前週の26日の横浜本牧教会の代務者の職務が終わりました。10月からは無任所教師でありますが、今日は横須賀上町教会の礼拝に招かれ、講壇に立ちました。この横須賀上町教会は10月から横浜本牧教会に赴任した森田裕明牧師が、18年間牧会した教会です。いろいろと関わりがある教会です。関わりについては、本日の説教の中でお話しています。
 横須賀上町教会は自宅から車で25分で行くことができました。横浜本牧教会は、車では約40分でしたから、それより近いというわけです。牧師が不在になりましたので、朝9時に教会の人が鍵をあけに来られました。8時40分には着いてしまいました。9時30分から教会学校が始まりました。そこでもお話を致しました。出席は子どもが6人、大人が6人と私たちの家族5人でした。森田牧師がいなくなりましても、教会学校に出席するのですから、イエス様とつながっていると思いました。礼拝は10時30分からでした。司会をする役員がお休みなので、司会と説教を担当しました。今日は世界聖餐日なので聖餐式も執行されました。出席は5人と私たち家族5人で、10名の皆さんで礼拝をささげました。小さな群れでありますが、神様を礼拝しつつ歩んでいる皆さんなのです。祈りが深められたのであります。
 私と横須賀上町教会との関わりは、前任の森田裕明牧師との関わり以上に、されに歴史が刻まれているのです。森田裕明牧師の前任は斎藤雄一牧師でした。この先生は清水ヶ丘教会の出身でありました。私が高校生の頃は伊東の宇佐美教会の牧師でありました。清水ヶ丘教会の高校生会が、毎年夏になると修養会をこの宇佐美教会で開催していたのです。海がすぐ近くであり、学びと交わりが深められる良い集いでした。ところが、斎藤牧師が宇佐美教会を辞任し、横須賀上町教会に赴任したのでした。私たちは宇佐美教会が使えなくなるので残念な思いを持ちましたが、斎藤牧師が近くに来たと言うので喜んだのであります。就任式には教会の多くの皆さんと共に私も出席したのです。20歳頃であったと思います。その時が横須賀上町教会との初めての出会いでした。その後、斎藤雄一牧師を訪ねては、相談にのってもらったり、親しくさせていただいたのです。その後、私の叔母が清水ヶ丘教会員でしたが、小規模な横須賀上町教会へと転会しました。そのようなことで、若い時から横須賀上町教会の存在が心に刻まれていたのであります。
 森田裕明牧師が北海道で苦労しながら牧会していることを知っていましたので、何とか新しい任地を祈っていました。横須賀上町教会の斎藤牧師が辞任することになり、森田裕明牧師の同教会招聘へと動いたのでした。その当時も横須賀上町教会は教会員も少なく、幼稚園も小規模な幼稚園でしたが、赴任した森田牧師は一生懸命に牧会、幼稚園の運営を担ったのです。彼は一時、大きな病気を経験し、苦難を乗り切りました。大塚平安教会の出身でありますので、教会も支援体制を作り、ささやかながら毎月献金をして支えたのであります。彼は18年の長きにわたり横須賀上町教会を担い、めぐみ幼稚園を運営したのであります。私の同労者でありますが、私が生み出した牧師であり、その意味では彼の働きを神様に感謝すると共に、誇りにおもっています。2010年10月からは横浜本牧教会牧師、早苗幼稚園の園長に就任しましたが、これまでの歩みが大きな力となり、祝福された牧会者になると信じています。
 横須賀上町教会は後任の牧師が決まるまで代務者を置いて歩んでいます。その為、同教会の礼拝説教を毎月第一日曜日に担当することになりました。50年前に始まった横須賀上町教会との関わりであり、その教会の講壇に定期的に立つことになったのも、神様のお導きであると思っています。無任所となった今、今後は何かと三浦半島、横須賀を訪れることになるでしょう。歴史って、本当に面白いなあと思っているのです。
<聖書の言葉>
あなたの神、主が導かれたこの40年の荒れ野の旅を思い起こしなさい。
(創世記8章2節)

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