鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

少年院を祈りつつ(牢にいる人たちを思いやりつつ)

 昨日、1日に少年院に赴きました。既に3月末で退任したのでありますが、「解職状」を受け取るためであります。数日前、少年院から電話があり、「解職状」をお届けに上がりたいとのことでした。相模原市小山から横浜の自宅までお届けくださるのは、大変申し訳ない。10月1日に綾瀬市に行く用事があるので、こちらからうかがいますと連絡したのでした。
 神奈川医療少年院篤志面接委員として16年間3ヶ月、職務を担ってきました。大塚平安教会を3月で退任するので、合わせて八王子医療刑務所教誨師、神奈川医療少年院篤志面接委員の職務を退任しました。横浜市金沢区六浦の自宅からはかなり遠くになったからです。
 久しぶりに少年院を訪れました。いつもは面接室に通されるのでありますが、院長室に通されました。そこで「解職状」を受理し、篤志面接委員会から記念品が贈られました。担当係官から、長い間の篤志面接委員の働きにつき礼をいただきました。しばし、少年たちの動向を話し、少年院を後にしたのでありました。少年院への特別な思いがあります。教団新報に書記の談話を掲載してきましたが、少年院に関する談話をここに掲載しておくことに致します。
 「賽銭箱に向かう」(2005年7月)
「赤バッチになりました」と言い、少年はいつに無くうれしそうである。この日の面接は積極的に自分から話をするのであった。少年院の篤志面接委員をしている。少年達と面接をすることで更正指導を行い、社会復帰の備えをするのである。しかし、少年達は自らが望んで面接を受けているのではなく、少年院の指導のもとに面接に臨む。本来は少年達がいろいろ相談を持ちかけるのであるが、何を相談してよいか分からない。そこでこちらから話しかけ、現状や将来について話し合うのである。少年達は窃盗、猥褻、薬、暴走運転、放火等により保護されている。比較的に多いのは放火である。それも火災まで考えていないようで、軽い気持ちでゴミ箱や物置等に放火するのである。軽い気持ちであるが、そこに至るのは多くの場合、孤独にさいなまされてのことである。神社仏閣の賽銭箱から盗んでは遊びの資金にしていたと言い、教会は表に賽銭箱がないので魅力が無いとも言う。教会は孤独な少年達を受け入れるだろう。しかし、賽銭箱が表に無い教会は少年達にとって魅力が無く、中に入っても同世代はいない。高齢者が多く、自分の居場所が無いのである。賽銭箱に向かう少年達の祈り聞いてあげたい。
赤バッチになると、まもなく出院準備となる。社会に復帰して、再び賽銭箱の前に立つとしたら、自らをささげるものであることを祈りたい。
「少年院で」(2009年1月)
 「黙秘権を使ってもいいですか」と少年は言った。少年院における面接のときである。彼は初めての面接で、随分と緊張しているようだった。「あなたを取り調べるのではなく、あなたの今後のことについて話し合うんだよ」と述べた。少年院では篤志面接委員を担っている。面接では少年達が将来について積極的に質問してもらいたいのである。しかし、多くの場合、こちらから話しかけないと口をつぐんだままである。何回かの面接で、ようやく心を開き、少しずつ話すようになる。当然、将来については不安であり、相談を持ちかけてくるのであった。
 院内の生活は刑務所より緩やかであるが、やはり厳しい。やたらに雑談はできない。まして、自分の過去などは話すことはできない。しかし、面接では何でも話してよいことを知り、積極的に自分のことを話してくれるようになる。黙秘権の少年は誰も信用してないようだった。兄弟に苦しい思いをさせられ、その仕返しが社会の中での悪なのである。出院しても家には帰りたくない。二度目の面接のとき、歯をくいしばって、誰からも理解されないと思っている彼なので、少年を受け止める存在がおられることを示した。すると、彼ははらはらと涙を流した。そして、その後は堰を切ったかのように、自分について話すのであった。まさに出会いが導かれる。私を受け止めてくれる存在、説教で取り次いでいるのであるが…。
<聖書の言葉>
自分も一緒に捕われているつもりで、牢に捕らわれている人たちを思いやり…。
ヘブライ人への手紙13章3節)