鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

あなたの旅路を守り…(四季の移ろい、欅の木の下で)

机の上に四枚の写真を置き、つくづく見つめながら思いを馳せています。四枚の写真の中心は欅の木です。今では大きく成長した欅の木が幼稚園の庭に堂々とそびえ立っています。四枚の写真はそれぞれの季節に写したもので、春、夏、秋、冬の欅の木のたたずまいなのでした。
1月、欅の木の写真は、冬枯れの葉がない姿です。12月の半ば頃にはほとんどの葉が落ち、枝のみとなります。この葉のない欅の木の下で、子ども達は元気に園庭を駆けて遊びます。この頃は縄跳び遊びが盛んになり、欅の木の下で縄跳びを楽しんでいます。何回も続けて飛ぶことが出来たと喜びます。見ている園長に、何回飛べるか数えるように言いますので、大きな声で数えます。「1、2、3、4、5、20、21、31、35、100、すごい100回も飛べた?」というと、「園長先生、違うでしょ、10回くらいだよ」。「いっぱい飛んでいるので100回かと思った」といいます。それに対して何も言わないで、再び100回に向けて飛び始めるのです。園庭の端の方では大縄飛びをしています。先生が大縄をまわしてあげています。子ども達が順に挑戦しているのでした。子ども達が元気に遊ぶ姿を見守る葉のない欅の木なのでした。
4月、欅の木に新芽と若葉が生え始めています。新芽が出たと思うと、みずみずしい薄茶の葉になります。この頃は、始業式、入園式があり、新年度が始まったばかりです。新年度が始まると、ひとときは大変な時期です。園生活に慣れない子ども達は、初めてお母さんと離れますので不安が募ります。お母さんを求めて門で泣いているのです。数人の子ども達が門にしがみついて泣いています。聖歌隊の合唱と称しています。しかし、聖歌隊は一週間もすると歌われなくなるのです。そして、次第に園生活を楽しむようになるのでした。欅の花なのでしょうか、小さい粒が地面に落ちてきます。子ども達はままごと遊びにしています。「園長先生、ご飯だよ」と言いつつ、茶碗にもって差し出すのでした。「むしゃむしゃ、ああ、おいしかった」と茶碗を返すと、またてんこ盛にして差し出すのでした。「もうお腹いっぱいだから、ご馳走様だよ」と言うのですが…。4月が終わり5月ともなると美しい新緑の欅の木になります。新しく園生活を始めた子ども達を励ますかのように、新緑の欅の木が見守るのでした。6月ともなると、もはや緑の堂々とした欅です。6月下旬に親子の集いを開催します。天気であれば、欅の木の下で体操の先生のもとに体操遊びをします。親子の集いが終わると、お父さん達に手伝っていただいて組み立てプールを設置します。まず、12枚のベニヤ板を敷き、鎹でそれぞれつなぎます。ハンマーで鎹を打ち込む音が園庭に響きわたります。そしてシートを敷き、その上に組み立てプールを設置するのでした。そして、プール遊びが始まります。欅の木が日陰を作ってくれ伸すので、暑い日差しでも楽しく遊ぶことが出来ます。夏の間、この暑い日差しを欅の木がいつもさえぎり、緑陰の楽しさを与えてくれるのです。
9月の写真はまだ堂々とした緑の欅です。しかし、10月ともなると色づき始め、11月には落葉が始まるのです。教職員が総出で履き寄せます。毎日の落ち葉履きは大変でもあります。この欅の木がなければ、こんなに苦労しなくても良いのに、という声が聞こえてきます。今まで欅の木の恵を沢山いただいたのです。この落ち葉だって、喜びを与えてくれているのです。落ち葉で焼き芋をします。子ども達も皆で掘ったサツマイモなので、焼き芋はとても大きな喜びなのです。畑をする人が落ち葉をもらいに来ます。寒い冬を落ち葉で野菜を守るためです。風か吹くと瞬く間に落ち葉が嵩みます。道路にまで散乱しますので、はき寄せなければなりません。大変と思いつつ、しかし、欅の木の恵のほうが大きいと思うのでした。
こうして欅の木の下での移ろいを示されますが、幼稚園と欅の木は密接に結びついて、心に残っています。幼稚園の思い出は欅の木でもあるのです。遊ぶ子ども達を見守る欅の木は、神様の大きな存在を示されます。私たち一人ひとりを見守る神様を示されているのです。
聖書の言葉
「あなたの神、主は、あなたの手の業をすべて祝福し、この広大な荒れ野の旅路を守り、40年の間、あなたの神、主はあなたと共におられたので、あなたは何一つ不足しなかった。」(申命記2章7節)