鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

何もかも神様にお任せし…(城山公園散策)

木曜日の朝は綾瀬ホームの礼拝です。今日も礼拝が終わり、帰ってきましたが、途中の城山公園の駐車場の脇を車で通ったとき、何となく苦い思いが蘇ってきました。数日前に、一人の方が、「城山に愛人がいる」というような内容のことを私に言われたのです。(さあ、皆さんは最後まで読みたくなったでしょう)。「城山に」と言われて、私は何のことやら分からなくて、どういうことかと訪ねました。城山で愛人と会っているか、その付近に愛人の家があって、城山にいるのを見た人がいるということでした。まったく、覚えのないことで否定しました。数日後、私は言われたスキャンダルについて思いをめぐらしていたとき、はっと思い当たったのです。「城山」と言うから何のことやらわからなかったのですが、「城山公園」と言うのであれば、思い当たるわけです。前記したように、綾瀬ホームから帰るとき、木曜日は家庭集会があるので、急いで戻りますが、家庭集会がないときは、この城山公園に立ち寄ります。駐車場に車を止め、小高い城山公園に上っていきます。おそらく、駐車場を歩いている姿を、どなたかが見かけたのでしょう。
城山公園は、城山城があった場です。私が教会に赴任した28年前は、公園といっても広場があるくらいでありました。入り口は雑木林を縫うようにして入っていったものです。この城山公園へ幼稚園の歩き遠足を実施していました。幼稚園から城山公園まで2時間も歩いたと思います。あの頃の子ども達は健脚であったと思います。広場でお弁当を食べ、どんぐり拾いや紅葉集めなど楽しく過ごしました。西側の斜面が楽しくて、少し危険な場もありましたが、子ども達は転がったりしながら遊んだのでした。しかし、その後、遠くまで歩くことが困難になっていることを知るようになります。2時間も歩けないのです。それで、その半分くらいの距離である光綾公園に行くようになりました。数年、城山公園に行かないでいましたら、その城山公園が整備されたことを知りました。早速、見学に行きましたら、本当にきれいに整備され、出入り口もいくつか設けられたのです。中心の広場は変わりませんが、周辺の雑木林を整備し、遊ぶところも多くなりました。それで城山公園散策を復活しました。途中の綾瀬のスポーツセンターまで園バスで送り、そこから歩くことにしたのです。3、40分で着きます。お弁当を食べた後は、子どもの広場で楽しく遊びます。距離の長いローラー滑り台では、お尻にダンボールを敷いて滑ります。何回も挑戦する子ども達でした。
公園の西側も随分と整備され、駐車場から階段を上っていくと、まず、蛍が宿るという沼地があります。「蛍を取らないでください」「蛇に注意」の立て札を見ながら上がると、「たけのこを取らないでください」との立て札があります。そこは竹林でありました。この辺りの佇まいは日本庭園を鑑賞している思いです。駐車場からすぐに階段を上がらないで、そのまま進むと池があり、その上には休憩所があります。あずまやから池を見下ろすのも、まことに心休む風景なのでした。鯉がいたように思いますが、その後池を覗きましたらいませんでした。側溝の水が勢いよく流れていますが、城山から流れてくるのでしょう。
城山公園の周辺は雑木林が続いていましたが、今では造成され、新しいきれいな家が立ち並んでいます。まだまだ造成されていて、家が立ち並ぶでしょう。公園があり、高台でもあり、すむには良い高級住宅地と思えるのでした。
さて、スキャンダルが作られる舞台を紹介しましたが、「城山」で何があったのか。なんてことはありません。城山公園の西側を出入りしていた私をどなたかが見られたのです。せっかく、木曜日の綾瀬ホームの帰りに立ち寄っていのですが、今後どうしましょうか。今日は綾瀬ホームの後は家庭集会が綾瀬深谷地区で開かれるので立ち寄りませんでした。今度、寄るときにはサングラスをかけ、マスクをして、帽子もかぶりましょうか。何もかも神様がご存知なのですから心配はしていません。
聖書の言葉
「思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。」(ペテロの手紙<一>5章7節)