鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

主の家に行こう、と人々が…(礼拝を心待ちにする人々)

今日はさがみ野ホームの礼拝がありました。9時15分からですが、9時に行くと、既にほとんどの皆さんが着席しており、職員の皆さんも集まっているので9時05分には礼拝を始めました。黙祷、讃美歌、聖書、お祈り、お話し、お祈り、讃美歌、主の祈り、黙祷の順序です。主の祈りが終わり、「黙祷です」と私が言う前に一人の利用者が先に言うのです。黙祷が終わると、「礼拝を終わります」と私が言う前に、前記の利用者が言ってくれるのでした。従って、礼拝の終わりの方では、私が言わなくても代わりに言ってくれる人がいるので、いつもはなるべく大きな声でお話しをしているのですが、声が小さくなってしまうのです。代わりに言ってくれるので、助かっているのか、気が抜けてしまうのか。「来週も来る?」と期待されながらその場を去るときは、やはりうれしく思います。一週間に一度の礼拝を心待ちにしてくれる皆さんなのでした。
昨日の綾瀬ホームも同じです。朝、綾瀬ホームの園長が施設内を一巡すると、利用者の多くが、「今日は牧師先生、来る?」と聞くそうです。木曜日は礼拝の日であることを覚えています。都合で休んだりすると、会う一人一人に休んだ理由を言わなければなりません。利用者の皆さんが心待ちにしてくれている礼拝、絶対に休みたくないと思っています。そう言えば来週の綾瀬ホームの礼拝の日は、幼稚園年長組の卒業遠足でグリンパ(旧日本ランド)へ行くことになっており、利用者の皆さんにも園長にも、お休みのことを伝えてきませんでした。それで夕刻になってホームに連絡したのでした。その次の2月8日の礼拝の日には、次々と休んだ理由を聞かれるでしょう。
礼拝を心待ちにしている人々、もう一つのグループがあります。これも昨日ですが、昨日は刑務所に出かけました。綾瀬ホームが終わり、10時30分からは綾瀬深谷地区の家庭集会です。集会が終わり、おいしいお昼の食事をいただき、その後刑務所に向かいます。教会を12時30分に出発することを基本にしています。家庭集会からひとまず教会に寄り、わずかな時間ですが幼稚園の事務室に顔を出し、いくつかの事務的連絡を聞き、そして出かけるのでした。八王子医療刑務所まで1時間20分くらいです。お腹が満たされているので、眠気をだましながら車の運転をします。午後2時前に刑務所に着きます。まず、事務所で本日の教誨内容を記録します。日誌は各教誨師共通のもので、他の教誨師が記録していることを読むことができるのです。それぞれ出席人数が記されています。大体が1、2名の出席です。それに対して私のキリスト教教誨は、本日は6名と記録されていました。担当官が出席者名を先に書いておいてくれるのです。このところ5名の教誨希望が続いていたのですが、昨日の教誨は一人増えて6名になりました。一人でも教誨を受けてくれることは喜びでもあります。かれこれ一年近く同じメンバーです。教誨が終わり、次回も教誨を受けることを尋ねると、まだしばらくは受けることが出来ると言うのです。しかし、ここにいる受刑者は必ずしもこの刑務所に出所するまでいるとは限りません。ここにいる受刑者は、ここは医療刑務所、すなわち病院刑務所であり、教誨を受ける人たちは病院のいろいろな作業をするためにいるのです。従って、他の刑務所に移されることもあります。実際、今まで教誨を受けていた人が、見えなくなったこともありました。とにかく、教誨を受ける皆さんは喜んでいることを知ります。聖書も大きな声で読みますし、讃美歌も大きな声で歌うのです。積極的に質問します。キリスト教のこと、聖書のこと、信仰のこと、時には社会のことなど。しかし、あまり社会のことは話題になりません。社会とは閉ざされてもいるからです。
さがみ野ホーム、綾瀬ホーム、刑務所の皆さんは礼拝を心待ちにしています。両ホームは毎週ですが、刑務所は月に一度です。礼拝を心待ちにしている皆さんは、必ずや神様の祝福が豊かに与えられるでしょう。
聖書の言葉
「主の家に行こう、と人々が言ったとき、わたしはうれしかった。」(詩編122編1節)