鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

有益な書物(幼稚園の暗唱聖句)

昨日は幼稚園の合同礼拝でありましたが、昨日の日記は礼拝を心待ちにしている綾瀬ホーム、さがみ野ホーム、刑務所の皆さんについて記しましたので、幼稚園の礼拝については本日記すことにしました。
幼稚園の合同礼拝は、いつもは午前11時からですが、昨日は10時30分開会でした。この日は「まぜごはん」があるからです。「まぜごはん」といえば、ご飯にいろいろな具を入れて混ぜたものを連想しますが、「園児が混ざってご飯をいただく」ことです。現在、四クラスありますが、一クラスを四つに分け、それぞれ別々のクラスに行き、お弁当を食べるのです。年長、年中、年少が混ざってお弁当を食べるとき、いつもとは違うお友達とのお弁当は、楽しさが加わります。混ざるために移動したりするので時間を要します。そのため礼拝の時間を早めたのでした。
礼拝の始まりはピアノの前奏です。前奏が始まると、子ども達は胸の前で手を組みお祈りをいたします。前奏中は静かに目を閉じています。そして、讃美歌を歌います。この讃美歌も随分と上手に歌うことができるようになりました。もう100点満点です。思えば、入園間もない頃は、礼拝のためにホールに集まっても、何をしているのかわからないようで、おしゃべりや隣同士ふざけていたりしました。次第になれてくる5月、6月ころになると、覚えた讃美歌を大きな声で歌い、叫び、怒鳴るがごとくに歌っていたものでした。そして、二学期ともなると、礼拝の意味がわかってきます。讃美歌は神様にささげるものであり、きれいに歌うことを自覚するようになるのです。
礼拝でお話が終わり、讃美歌を歌った後に、今月の暗唱聖句を唱和します。月の最初の礼拝で暗唱聖句を教えます。そして、次に礼拝のときに、その暗唱聖句がどういう言葉であったか、先生が尋ねます。一学期の頃は、答えることができないのでしたが、二学期ともなると、ちゃんと覚えている子どもがいるのです。そして、次の礼拝まで覚えていよう、と思う子ども達が多くなり、1月の暗唱聖句を覚えていますか、と先生が尋ねると、手を挙げるお友達が多くなるのです。昨日の礼拝はもはや尋ねないで、一緒に唱和しました。ほとんどのお友達が暗唱聖句を覚えていたようです。今月の愛唱聖句は「新しい心を持ちましょう」との聖書の言葉です。聖書の言葉を子ども達が言いやすいように変えています。本来の聖書の言葉は、「キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造されたものです。」(コリントの信徒への手紙<二>5章17節)であるのです。因みに4月からの暗唱聖句を記しておきましょう。
4月「イエス様に結ばれましょう。」(ガラテヤの信徒への手紙3章26節)、5月「あなたの父と母を敬いなさい。」(エフェソの信徒への手紙6章1節)、6月「力を下さる神様。」(使徒言行録1章8節)、7月「喜んでくださるイエス様。」(ルカによる福音書15章6節)、9月「平和をつくる人になりましょう。」(マタイによる福音書6章11節)、10月「神様がおつくりになった世界。」(詩編24編1節)、11月「お恵みくださる神様。」(コリントの信徒への手紙<一>3章9節)、12月「光の子どもになりましょう。」(ヨハネによる福音書1章9節)、2月「絶えず祈りなさい。」(ローマの信徒への手紙12章12節)、3月「神様とお友達を愛しましょう。」(ヨハネによる福音書15章17節)。
暗唱聖句はいずれ忘れてしまうかもしれません。でもその通りの言葉を覚えていなくても、心に深く染み込んでいるでしょう。こうして子ども達が聖書の言葉に養われ、聖書の言葉が土台となって成長するとき、祝福の人生を歩むことが導かれるでしょう。そのような人生を心から願い、一人一人の祝福の成長をお祈りしています。
聖書の言葉
「聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。」(テモテへの手紙<二>3章16節)