鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記 <48>

 

隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜)<48>
2012年1月20日 「主の証しを示されながら」
 


聖書の言葉
神は過ぎ去った時代には、すべての国の人が思い思いの道を行くままにしておかれました。しかし、神は御自分のことを証ししないでおられたわけではありません。恵みをくださり、天からの雨を降らせて実りの季節を与え、食物を施して、あなたがたの心を喜びで満たしてくださっているのです。
使徒言行録14章16-17節)



 今は冬枯れの時であり、落葉樹は枝ばかりのたたずまいである。しかし、この辺の里山は落葉樹ばかりではなく、常緑時がかなりあり、あまり冬枯れという印象はない。従って、樹木を見る限り冬の印象が薄れるのであるが、やはり冬は冬である。今日、1月20日は横浜でも降雪予報である。起きる前に寝床でラジヲを聞いていたが、天気予報では雪降りを予報していた。さぞや外は白くなっているのであろうと、起きぬけに外を見ると、期待はずれというか、いつもと同じ風景である。といっても確かにみぞれ交じりの雨であった。予報の通り、この後は雪に変わって行くのかもしれない。横浜では13日遅れの初雪とか報じていた。関東でも三浦半島に近いこの辺は温暖なので、雪が降り、積もるということはめったにない。大塚平安教会在任中でも、県央に雪が降ることは一年に一度あるかないかであった。それでもかなりの降雪で、子どもたちが登園して来るので雪かきをしたものである。
 今日は雪ということで、しみじみと冬を過ごしていることの実感を持つ。春夏秋冬、季節の移り変わりを確実に示してくれたのが、ドレーパー記念幼稚園の園庭にある二本の欅の木であった。1979年に赴任した時、木の周りを両手で囲んでも手と手がつながる太さであったが、それから30年を経た時、手で測ることができないほどの太さになっていた。今ごろは冬枯れで枝には一葉もない。もっとも枯れ葉がいつまでも枝についている場合もある。枝ばかりの欅の木の下では、寒さを乗り越えて子どもたちが元気に遊ぶのである。それは前回も記したが、「だるまさんが転んだ」遊びは欅の木をもとにして行うのであった。やがて春になり、4月5月頃になると芽が吹き出す。そして花が咲くころは、黒っぽい花のかすを地面一面に落とす。それが終わる頃には新芽が若葉に変わってくる。若葉は太陽の陽射しを受けて、きらきらと輝き、それはそれは美しい。6月7月頃には濃い緑に変わり、暑い陽射しをさえぎり、子ども達を優しく包んでくれるのである。この欅の木がなかったら、緑陰のない夏の園庭では遊べないことになる。そして秋を迎える。「そろそろですね」と先生達も落葉が気になる。落葉が始まると、落ち葉集めが大変なのである。朝、先生たちがすることは落ち葉掃きである。掃いても掃いても落葉が続く。ようやく落ち葉掃きから解放される頃はクリスマスも近くなっている。そして冬枯れの欅の木が園庭にたたずむのである。



5月頃の欅の木。若葉が美しく、きらきらと輝いている。



8月9月頃の欅の木。緑の葉をどうどうとつけ、緑陰を与えてくれる。



秋になると紅葉するが、それもつかの間、落ち葉掃きが大変である。



冬枯れの欅の木。それでも木の下で元気に遊ぶ子ども達である。



 秋になり欅の木が見事に紅葉する。しかし、紅葉しないでそのまま枯れ葉になる時もある。このような欅の木の移ろいは季節をしみじみと感じさせてくれていた。欅の木と共に一年を歩んでいたともいえるのである。あまりにも落ち葉の片づけが大変なので、いっそう切り倒してしまうという意見を聞くのであるが、頑として聞く耳を持たず、幼稚園のシンボルとして存在させていたのである。実際、卒業生が幼稚園を思い出す時、まず欅の木なのである。幼稚園のシンボルは十字架であるが、あたかも神様の見守りの内に過ごしたように、優しく見守る欅の木の存在思い出すのである。今後、幼稚園が新しい計画が作られたとしても、この欅の木を残した計画であってほしいと思っている。
 その欅の木を囲むようにしてアスレチックが作られている。その名を「のぶらはむのいえ」という。2010年3月に園長を退任する記念として何が良いだろうかと考えていた。佐竹和平現園長が、「幼稚園の象徴である欅の木と鈴木園長を組み合わせる」との発案でアスレチックを設置することになったのである。そうなると欅の木よりアスレチックが思い出になるので、欅の木に申し訳ないと思ったのであるが。しかし、鈴木前園長の存在は忘れられていくであろうし、全く知らない子どもたちになっていくのであり、そういう中で、やはり欅の木の存在は子ども達の深い思い出になるであろう。
 季節の移ろいを知るということは、神様のお恵みを示されるということ。春夏秋冬、それぞれの季節に導きを与えておられるのである。欅の木の落ち葉は、野菜等作物には保温と堆肥になり、これほど恵みのものはない。連れ合いのスミさんは秋になると落ち葉が懐かしく、拾いに行こうかなんて言うのである。神様のお恵みの証しである欅の木であると示されたい。