鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記 <49>

 

隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜)<49>
2012年1月23日 「最初のしるし」

 

聖書の言葉
ぶどう酒が足りなくなったので、母がイエスに、「ぶどう酒がなくなりました」と言った。母は召使たちに、「この人が何か言いつけたら、その通りにしてください」と言った。そこには、ユダヤ人が清めに用いる石の水がめが六つ置いてあった。イエスが、「水がめに水をいっぱい入れなさい」と言われると、召し使いたちは、かめの縁まで水を満たした。イエスは、「さあ、それをくんで宴会の世話役のところへ持って行きなさい」と言われた。世話役はぶどう酒に変わった水の味見をした。花婿を呼んで言った。「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、酔いがまわったころに劣ったものを出すものですが、あなたは良いぶどう酒を今まで取っておかれました。」イエスは、この最初のしるしをガリラヤのカナで行って、その栄光を現された。
ヨハネによる福音書2章1節以下)



 もはや1月22日にもなっており、いまさらお正月について書くこともないのであるが、この後に記す「餅つき」に関連して、我が家のお正月について思いを馳せたのである。お正月と言っているのは1月1日、元旦のことである。私の実家では、元旦の朝は父が「お雑煮」を作ることが習わしであった。母や姉達は12月31日の夜遅くまでお正月料理の準備をしており、それこそ除夜の鐘を聞いてから寝たのであろう。そして迎えた新年の朝、父がお雑煮を作る。父の作るお雑煮は簡単なもので、醤油の薄味で、蒲鉾、大根、なると、ホウレンソウ等のお汁に焼いたお餅を入れる程度のものである。8時過ぎには一同が揃い、父の新年の挨拶があり、少しばかりお屠蘇をいただき、お雑煮を食べるのであった。食べ終わると父はすぐに出かけていく。神社仏閣の初詣である。雷神社、瀬戸神社、そして横須賀にある檀家寺の初詣を行う。そのような習慣があるので、私も1月1日にはお雑煮を作ることにしていた。父と同じく簡単なものであり、子ども達は食べるものの、あまり進まないようである。その後は連れ合いのスミさんが鶏肉などが入った重厚なお雑煮を作るので、子ども達は喜んで食べていた。やはり子ども達は肉類が入らないと喜ばない。だから、気が向いたら作る程度で、毎年作っていたということではない。
 ところが今年は1月1日は主日礼拝である。毎月第一日曜日は横須賀上町教会の礼拝を担当している。子どもの礼拝も担当するので朝8時40分には家を出なければならない。そのためお雑煮どころではない。いつもと同じように食事をして、出かけたのであった。横須賀上町教会の礼拝が終わって、いつものように軽食を用意してくださるのであるが、この日はお雑煮を用意してくださった方があり、美味しくいただいたのである。お雑煮をいただくと、新年なんだなあ、とつくづく思うのは、長年の習慣が身についているからである。もっとも、お餅は年末にも食べているのである。年末に大塚平安教会の谷村盛久さんと勝子さんがお訪ねくださり、ついたばかりのお餅をお届けくださったのである。谷村さんのお宅では、年末にはいつもお餅つきを行い、大塚平安教会在任中もありがたくいただいていたのである。年末に連れ合いのスミさんが「力うどん」を作り、いただいたのであるが、やはり「お雑煮」を食べると新年の思いが深まるのである。昔ながらの人間であるということである。
 

かまどでもち米をふかす作業が始まる。2005年撮影。



お餅つきが始まる。2008年撮影。



子ども達のお餅つき。2007年撮影。



つきたてのお餅を加工する婦人会や幼稚園お母さん達。2008年撮影。



どれがいいかな。あんこ餅、きなこ餅、のり餅、納豆餅、おろし餅…。2008年撮影。



ホールで美味しいお餅を食べる家族の皆さん。2007年撮影。



毎年、1月の第四日曜日には「お餅つき大会」を開催しており、今年は22日の礼拝後に開催されることになっていた。大塚平安教会子どもの教会が主催であるが、教会挙げてのイベントになっている。そして幼稚園にも呼びかけるので、多い時は150人も集まっての楽しい行事になっている。ところが22日は雨または雪予報なので、前日の土曜日には延期が決められる。28日の土曜日に開催とのことである。今までもこのブログで「お餅つき大会」のことは記している。写真を掲載したいので、簡単に記しておく。教会学校の「お餅つき大会」が開催されるのは1995年頃かと思われる。その頃、今は横浜上原教会の牧師である古旗誠先生が副牧師であった。教会学校の校長を担ってくださり、教会学校の活性化のためにも「お餅つき大会」を提唱し、始めたのが最初である。しかし、幼稚園ではその数年前にお餅つきをしていた。他の幼稚園でお餅つきをしているところが結構あるので、当園でも行うことにしたのである。私の実家に臼があったので、それを持ちこんだわけである。ところがその頃は、男性は園長一人であり、保育の中で行われたので、男性の応援はなかったのである。もちろん先生達もお餅つきはするのであるが、やはり大変であることを実感したのであった、それでも2年は続けたが、それ以上は続かなかったのである。
 そして、数年後になって教会学校が行うようになった。教会学校ばかりではなく、教会挙げて行うようになった。そして、日曜日でもあるので園児のお父さん、お母さんもお手伝いくださるようになり、皆で分担するので大変ではなく、むしろ楽しいイベントになっていったのである。大塚平安教会としては「お餅つき大会」を大きな意味で伝道ととらえ、保護者とお交わりを深めながらの取組みになって行ったのである。従って、幼稚園の保護者の皆さんと教会の皆さんは結構知り合いになり、道で会えば挨拶を交わす関係にもなる。お餅つき大会の準備が始まる時、スタッフの皆さんに集まっていただき、まず牧師が開催のお祈りをしてから準備が始まる。一方、子ども達は幼稚園ホールに集まり礼拝をささげるのである。直接、準備に加わらない保護者の皆さんも礼拝に参加し、共に賛美をささげるのであった。
 まさに祝福のひとときである。現役から離れて2年にもなるが、この時期になるとお餅つきのことがしきりと思い出されるのである。皆で心を合わせて作業をする時、豊かな祝福を与えられるということは、イエス様のカナの婚礼における奇跡へと導かれるのである。