鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記 <50>

 

隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜)<50>
2012年1月25日 「働き人の皆さん」

 

聖書の言葉
その後、パウロアテネを去ってコリントへ行った。ここで、ポントス州出身のアキラというユダヤ人とその妻プリスキラに出会った。クラウディア帝が全ユダヤ人をローマから退去させるようにと命令したので、最近イタリアから来たのである。パウロはこの二人を訪ね、職業が同じであったので、彼らの家に住み込んで、一緒に仕事をした。その職業はテント造りであった。パウロ安息日ごとに会堂で論じ、ユダヤ人とギリシャ人の説得につとめていた。
使徒言行録18章1-4節)



 関東地方にも寒波襲来で、24日は東京、横浜でも積雪との予報であり、いよいよ降るかと思うのであるが、今回も空振りであった。確かに東京、横浜では降雪があったようである。しかし、三浦半島の入口に位置するこの界隈は温暖で、雪の気配はないのである。雪が降るのを願っているようであるが、予報があるからそのつもりでいるのに、降らないとなるとなんか裏切られた思いにもなる。しかし、そんな呑気なことを言ってはいられないのが降雪地帯である。日本海側、東北、北海道等、豪雪と聞く。心を痛めて報道を見るのは避難している人々の仮設住宅地帯である。豪雪で屋根の雪下ろしが大変なのである。仮設住宅には高齢者も多く、また慣れない雪下ろしは困難である。慣れているにしても雪おろしは大変であり、雪下ろしをしているうちに、転落して命を落とした人もいる。そういう中でボランティアの皆さんが仮設住宅の雪下ろしをしているニュースを見て、心温まる思いであった。雪下ろしばかりではなく、震災以降、瓦礫の片づけには多くのボランティアが参加したことも報じられている。困難な状況に少しでも協力したいという皆さんには心から感謝をささげたい。
 そのように復興に協力しているのであるが、気になる報道もある。今、瓦礫の片づけのさなかであり、被災地だけでは片づけができない。他の市町村が協力して焼却している状況である。ところが市町村によっては受け入れを拒否している。放射能物質の心配があるからだ、国の示す基準より低いと言っているのに、自分の町では焼却出来ないというのである。住民の反対があるからだ。ここで、塩野七生さんが嘆きつつ記していることを紹介しておく。
このような災害復興を取り組む中で、風評被害を厳しく批判しているのである。文藝春秋12月号で、塩野七生さんが、「『がんばろう日本』はどこに行った?」と題して執筆している。「風評被害の加害者達は、自らの手は汚していない。ただ単に、福島県産というだけで買わないか、場合によっては当局側に抗議の電話をかけるかメールを送り付けるだけ。それもその『抗議の声』なるものには『不安の声』という『衣』をかぶせるのだから始末が悪い。そして、それらを受けた当局側は、理を尽くしての説明をするわけでもなくビクつくだけで、結果は『中止』で幕を引くことになる。何という卑劣な残酷さ。『がんばろう日本』なんて言っていたのは、どこに行ってしまったのか」と嘆いておられる。さらにヒステリー現象として「京都五山送り火をめぐっての一騒動」、「愛知県日進市で起こった花火をめぐる騒ぎ」、「大阪府河内長野市の、橋桁をめぐる騒動」、「福島県産というだけの、食品への拒絶現象」を列挙し、嘆いておられるのである。今回の瓦礫の焼却問題もその一つであろう。
風評被害問題を示されながら、雪下ろしのボランティアは心が温められるのである。黙々となすべき業をする。そこに復興が導かれて来るのである。そのようなことを示されながら、今日は水曜日、大塚平安教会時代の「お仕事会」が心に示されるのであった。大塚平安教会の婦人会は月に一度の水曜日に「お仕事会」を行っている。多くの場合、幼稚園の誕生会の日と重なる。誕生会を終えて教会に戻ってくると、礼拝堂や集会室で婦人会の皆さんがお仕事をしているのである。週報で予告されているが、お仕事をしている皆さんを見て、そうか今日はお仕事会であった、と思い出すのである。皆さんはミシンを扱ったり、手作業等でお仕事をしているが、秋に開催されるバザーの準備をしているのである。手芸品等の売上金は教会建築資金に献金される。今までも随分とささげていることになる。お仕事をしながら、楽しく語らい、お交わりも深まるのである。そして、お昼の食事は持ちよったりしたものを皆さんでいただいている。午後3時頃まで、楽しく語らいながらも手を休めることなく、作業が続けられるのであった。皆さんにご挨拶して、私は書斎に入ってしまうが、昼食になると私の分まで差し入れてくださり、ありがたいの一言である。連れ合いのスミさんもお仕事会に参加しているので、昼食の心配をしてくれるのである。いわば黙々と作業を行い、教会建築を祈っている皆さんを示されるのであった。



大塚平安教会婦人会のお仕事会。2006年1月撮影。


2007年1月撮影。


楽しく語らいながらのお仕事会。2007年9月撮影。


2009年2月撮影。


2009年2月撮影。



1979年に大塚平安教会に就任したころは、教会に集まってのお仕事会なるものはなかった。その頃、さがみ野ホームが歩み始めたばかりであり、利用者の繕いもの奉仕が行われるようになった。ミシン等裁縫用具をホームに持ち込んで、そこで作業していたのである。そのうち、作業は教会で行うようになり、さがみ野ホームから繕いもの等をダンボールに入れて持ってきていたのである。時を経てホームの繕いもの作業が無くなる。それとともに教会の備品等の作業を行うようになる。ベンチの座布団カバー、窓の遮光カーテン等も作る。そして、バザーに向けての作業が本格化するようになるのである。まさにお仕事会の力強いお働きを示されていたのである。大伝道者パウロさんは仕事をしながら、福音を多くの人々に伝えた。お仕事をしながら信仰の証をする婦人会の皆さんであると示されていた。