鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<351>

隠退牧師の徒然記(2015年2月11日〜)<351>
2015年7月14日「心が休まれば…」


聖書の言葉
主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。主はわたしを青草の原に休ませ、憩いの水のほとりに伴い、魂を生き返らせてくださる。命のある限り、恵みと慈しみはいつもわたしを追う。主の家にわたしは帰り、生涯、そこにとどまるであろう。
詩編23編1-3節、6節)


1979年9月にドレーパー記念幼稚園の園長に就任する。そして、翌年には木造平屋建ての園舎を改築する。今までは園児が多く、平屋建ても二教室として使われていたのである。ところが赴任した翌年の春はその二教室を使わなくても良くなる。園児が減少したからである。全国的に子供が減少している、と言い訳みたいなことを言ったものである。しかし、これは確かなことであり、他園も園児減少対策を検討するようになっている。その様な中でドレーパー記念幼稚園は1977年には学校法人に移行しており、園児が減少しても、公的な助成があり、運営には支障なく歩むことができたのである。前園長の取り組みを感謝したのであった。こうして1980年には木造平屋建てをホール専門とする。もっとも一部は三歳児教室にしている。既にこのホールについては記しているが、何とも心休まるホールであったと思う。今まで固定化したホールがなかったので、常時ホール、遊戯室があるということは、まさに喜びであった。教室棟の二階から滑り台付き階段を降りてくる。いつでも遊べる空間がある。バスケットボールができるし、トランポリンで楽しく遊ぶ。少なくとも1991年頃までは、この「心休まる」ホールで、幼稚園はもちろん教会もイベントを楽しみつつ過ごしたのである。従って、約10年は改築のホールで喜びつつ過ごしたのである。
これだけ喜びのホールであったことを記しているのであるが、やはりこの木造平屋建て自体の改築を検討するようになる。はっきり言えば、ちゃんとした職員室、今までなかった玄関ホール、園長室、教職員更衣室、大人用トイレがどうしても必要なのだ。子供たちの教室は1972年に鉄骨で建築されている。従って、1992年中は増改築で幼稚園もごたごたしていたが、1993年からは新しいホール、玄関ホール、職員室、園長室、教職員更衣室等が建設され、これでようやく普通の建物になったのである。玄関ホールは幼稚園の顔である。玄関ホールに入った瞬間、幼稚園全体の心が示されるのである。玄関ホールにいるだけでも、心が休まると言われる。「天国の特別な子どもたち」の詩が掲げられているし、各年度の一泊保育等の集合写真が掲げられている。子供たちの祝福に満ちた姿を示されるのである。
増改築により職員室が作られたことは、保護者にとっても安心の窓口となる。それまでは事務的な窓口はなく、職員室の中にいる事務員とのやり取りであった。更衣室も作られたこと、教職員にとっては何よりのものである。それまではどこで衣服の着替えをしていたのであろう。苦労していたようである。そして、園長室が作られたことは、管理上、当然のことであった。それまでは管理的な職務は教会の牧師室で行われていたのである。それまでもOA機器なるものは使用していた。印刷機コピー機等、結構場所を要するのである。それらは印刷室に収納するようになったが、さらに管理用にコピー機を園長室にも置く。パソコンも数台置いたりすると、園長室もいつの間にか狭くなっている。増改築が行われるまで、園長と年長組とのお弁当の会食は教会の集会室で行っていた。園長室ができたということで、当初は園長室で会食を行ったものである。しかし、数年後には再び教会の集会室で行うようになる。前記したようにOA機器等で狭くなっためである。
増改築後のホールは二階部分である。増改築部分と共に二階の教室もホールにつなげることにより、かなり広いホールとなる。入園式、卒業式、いろいろなイベントが行われるようになる。何よりも毎週の合同礼拝は新しいホールで行われるようになる。クリスマス行事は幼稚園はもちろんであるが、教会も何かとホールでイベントを行うのであった。ホールで楽しく過ごすうちにも、目線の高さで欅の樹が、堂々とした緑の葉を誇りながら祝福しているように示されるのである。大塚平安教会退任の時にも、こちらの希望でポトラックにより送別会を開いていただく。心休まるホールが今でも示されているのである。



増改築前の園舎。一部は木造平屋建てである。



増改築後園舎。



毎年1月末に「餅つき大会」を開催しているが、
ホールにおいて、家族でお餅を楽しむ。



教会もクリスマス等の祝会をホールで行う。