鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

神様の賞を得るために(幼稚園の運動会)

今日は楽しい運動会です。天候も暑くもなく、ちょうど良い日でした。昨日、父母の会・けやきの会の役員さん達のお手伝いをいただき、準備をしました。お母さんたちにはテント張りやゲート作り等をお願いしています。また、園庭がでこぼこしているので地ならしもしていただきました。こうして準備をして朝を迎え、6時頃に園庭を覗きましたら、もうシートが敷いてあり、場所取りが行われていました。玄関前に立っているうちにも、次々に場所取りに来られるのです。やはり、良い席でご覧になりたいのです。おじいちゃんやおばあちゃんも来られるので、良い席を取りたいお気持ちはわかります。幼稚園では敬老席を設け、椅子に腰掛けながら、ゆっくりとご覧いただく用意をしています。
9時30分になり、いよいよ開会です。礼拝を行い、準備体操を行い、運動会の歌をうたって意気を高めました。最初はひよこ組・3歳児のかけっこです。一生懸命に走る子ども達に、ご家族の皆さんが大きな声援を送ってくれます。かけっこをしている意味がわからなくて、途中で砂いじりを始める子どももいるのでした。花組・4歳児、星組・5歳児の競技やダンス、親子ゲーム等を楽しみました。玉入れはおじいちゃんやおばあちゃんも、子ども達と一緒に行います。玉入れの籠は子ども達にとっては高い位置ですが、おじいちゃんやおばあちゃん達にとっては目の高さであり、玉をまとめてつかむと籠の中にがばがばと入れるのです。あっと言う間に籠はいっぱいになってしまいます。特におじいちゃんは孫に格好良い姿を見てもらおうと、とてもハッスルするのでした。「ご苦労様でした」と園長が幼稚園特性のタオルをさし上げます。ご夫婦で出場していると、おばあちゃんの方が遠慮されることもありますが、受け取っていただきます。最近は園長より若いおじいちゃんやおばあちゃんが多くなってきました。つくづくと自分の年齢を覚えるのでした。そう、赴任した頃は園長より年上のお父さんやお母さんがおられたのです。今では園長よりはるかに若い皆さんであります。
現在、幼稚園児は74名ですから、園庭としたらちょうど良い広さでもあります。それが、14、5年前は、130名は在園したのですから、随分と狭い庭でもありました。大体、家族は3、4名来られます。中にはお父さんの両親、お母さんの両親も来られるという場合もあります。狭い園庭でありますが、それでも楽しい運動会を過ごすのでした。13年前、園舎の増改築をしていましたので、その年の運動会はトピーグランド、今の風車公園の競技場で行いました。幼稚園の運動会を行うにしてはとても広く、なんか盛り上がらなかったように思えます。むしろ狭いくらいのほうが、身近な動きを見ることができ、楽しさが増すと思います。
家族の皆さんの声援を受けて、子ども達も元気に過ごしました。こうしたことで家族のふれあいが増すのです。私は思い出す限り、私の三人の子ども達の運動会を始めから見に行ったことがありません。子ども達の運動会はすべて日曜日に行われました。日曜日は教会では礼拝がささげられます。午前中は礼拝であり、午後になっても何かの集会があります。それらの集会が終わって運動会に行ってみると、私の子ども達の出場はないのです。それでも比較的早めに行ったことがあり、何回か子どもの張り切った姿を見ることができました。そのような状況ですから、「お父さんは、運動会にきてくれたことがない」と言うことが子ども達の口癖なのです。まったく行かないことはないのですが。そんなことで、子ども達には申し訳ないと思っていますが、子ども達も父の職務上のことであるからと理解はしてくれています。
私自身の小さい頃の運動会で、思い出す限り、かけっこでは入賞したことはありません。大体は7、8名で駆けたと思います。いつも6、7番目でした。どうも競い合って勝つということが苦手でありました。それが基になっているのではありませんが、幼稚園のかけっこは1番、2番の順位を決めるのではなく、最後まで走ることを目的としています。従って、ゴールに入っても順位を示さないで、むしろゴールまで走ったことを喜んであげるのでした。
聖書の言葉
「神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。」(フィリピの信徒への手紙3章14節)