鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

真実の証し(信徒伝道日に)

10月の第三日曜日は、教会は信徒伝道日としての礼拝です。いつもは牧師が礼拝説教をしますが、この日は信徒の教会員が講壇に立ち奨励を行なうのです。信仰に生きる喜び、力強さ、そして恵みであることを証しされます。このような証を聞くことは信仰者として、励みになりますし、自分自身も証しで示された信仰に生きようと導かれるのです。
今回、信徒伝道日に奨励をされた方は大矢伯文さんです。1959年に信仰に導かれ、大塚平安教会には1964年に転入会されました。今日まで42年間、大塚平安教会の信徒として歩んできました。大きな病気や手術をされ、そういう中でご家族を担うことのご心配や、お子さん達の行く末を案じつつ過ごしますが、いろいろな困難の中で、信仰が支えとなっていたことをお話されました。どのような状況になろうとも神様を仰ぎ見、主イエス様のお導きを信じて歩んでこられたのです。神さまに造られた者として、ご自分を覚え、「神は言われる。『あなたを見放すことも、見捨てることもない』」との聖書の言葉に導かれてきたと証されました。皆さんは感銘深く聞いたのでした。お連れ合いの八重子さんも教会員であり、伯文さんを支えて今日まで歩んでこられたのです。伯文さんの信仰を支えておられるのはお連れ合いなのです。お二人のお子さんは、長男の真理さんは今年の3月に神学校を卒業され、4月からは山梨八代教会の牧師に就任しています。長女の頼子さんも当教会員ですが、一人のお子さんが与えられて、良い家庭生活をされています。二人のお子さんの今日の姿は、大矢ご夫妻の今日までの祈りの賜物なのでしょう。神様の祝福が豊かに注がれていると思います。
この大矢さんは今年の3月まで幼稚園の送迎バスを運転してくれていました。従って、幼稚園の皆さんもよくご存知でありましょう。去る運動会では、退職しているにもかかわらず、園庭の地ならしに来てくれました。マイクロバスは今年の6月でワゴン車に変えましたが、昨年はそのマイクロバスで園庭の地ならしをしたのです。今年はマイクロバスがないので、自分の車で園庭の地面を固めてくれました。この大矢さんは幼稚園の理事をも担っており、今でも幼稚園の運営を担ってくれているのです。
大塚平安教会は毎年、信徒伝道日には信徒が奨励・証をしますが、信徒伝道日に限らず、修養会でも証があります。あるいは週報に証を掲載したりしています。それが一つの伝道になるのです。伝道とは主イエス・キリストの救いを人々に伝えることですが、その方法は、必ずしも言葉で語り、文字に記すことだけではありません。自分の存在、信仰に生きる姿を公にすることが伝道でもあるのです。人と接するうちにも、ことさら信仰をもって生きていると言わなくても、その人の人柄、ふるまいが証しとなることもあります。なんか、そんな匂いがするようで、それとなくお話しするとクリスチャンであると知るのです。
昔、青山教会で副牧師をしていた頃、その教会の信徒の方の生き方が忘れられません。信仰者として、日曜日の午前中は必ず教会の礼拝に出席しています。従って、そのような姿勢を知っている近所の皆さんは、日曜日にその人の家に行ってもいないことを知っているのです。毎週、欠かさず休まずに礼拝に出席することの陰には、いろいろな弊害があるのでしょうが、それらを克服して、何も言わないで黙々と礼拝に出席している姿に敬服したものです。昔は自治会や美化デーみたいなものはなかったのでしょうか。今は日曜日が大切であっても、自治会の役員が順番に回ってきたりします。そうなると日曜日に礼拝には出られないのです。社会に生きるものとして、この世の義務を果たさなければなりません。ある教会の牧師が、日曜日は教会で礼拝をささげることは昔からのことであり、日曜日に授業参観で登校させるのは違法であると訴訟を起こしました。もちろん、そういう訴訟は負けるでしょう。いろいろな社会の制約、義務を果たす中で、それでも教会の信徒として生きる姿勢が証しとなるのです。信徒伝道日にあたり、信仰に生きる姿を示されました。
聖書の言葉
「わたしたちは、彼の証が真実であることを知っている。(ヨハネによる福音書21章24節)」