鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

イエスの命が現れるために(自らの葬儀を見つめつつ)

大塚平安教会は日本基督教団に属する教会ですが、その日本基督教団は全国17教区をもち、教区はそれぞれ地区または支区に分割しています。大塚平安教会のある地域は湘北地区と言い、17の教会が共に歩んでいます。30日には地区の信徒研修会が開催されました。私は幼稚園の理事会が開かれましたので参加しませんでしたが、連れ合いと教会員の小室きよみさんが出席し、連れ合いが言うには良い学びのときであったといっております。今回の主題は「死の準備」ということで、敬遠したい事柄ですが、確実にやってくる死の供えの研修なのでした。
死については私もかねがね思いを持っており、それとなく準備をしているつもりでいます。もう、かなり以前になりますが、神学生であった森田裕明君(現・横須賀上町教会牧師)が当教会にいる頃、私の葬儀に話題が及びました。私は、自分の葬儀の司式は友人の岩崎隆牧師にしてもらうことにしています。彼とは清水ヶ丘教会で中学生の頃から共に成長した仲であります。高校生の頃は共に高校生の会「ぶどうの会」で励みました。そして、彼は先に神学校に進み、遅れて私も神学校に入り、共に牧師として歩み始めたのです。いろいろな経緯は割愛しますが、私が神奈川教区に戻ってきて、まもなく教区の書記となったとき、彼は教区主事として教区の歩みを担いました。そして、私が教区の議長を4年間務めた後は、彼が議長に就任しました。その後、私が教団の書記に就任するや、彼は教団の宣教委員長として職務を持ちました。私たちはいつも遠からず同じ現場で働いているのです。
そのような関係ができる前から、竹馬の友として、私の葬儀には彼が葬儀の司式をすることになっており、彼の葬儀は私がすることになっているのです。お互いに生き残っている者が担当するわけです。それで、森田君が言うには、岩崎先生が私より先に亡くなったら、私の葬儀の司式を誰がするかということなのです。当然、自分だというのです。彼は私の葬儀の司式の使命を持っているようです。なぜならば、森田裕明君とは深いつながりがあるからです。彼はドレーパー記念幼稚園の教諭となり、その中から神学校に進み、今では立派な牧師になっていますが、さらに遡る出会いがあるのです。私たち夫婦が宮城県の陸前古川教会に赴任したのは、私が33歳のときでした。その教会に、その頃中学生であった森田君が出席していたのです。彼との出会いはここから始まります。高校生の頃も教会の歩みの中で、彼とはいろいろなふれあい、交わりがありました。そして、その後、私が大塚平安教会に赴任してまもなく再び彼と出会うことになるのです。彼は、陸前古川教会では果たせなかった洗礼を、この大塚平安教会で受けることができました。そして、牧師の道をも導かれたのでした。そのような私との出会いがあるものですから、彼は私の第一弟子だと思っているのです。当然、師の葬儀は第一弟子がするべきだと思っているのでした。
こうして、私の葬儀の司式は暗黙のうちに決まっています。しかし、まだ決めておかなければなりません。私の葬儀には森田君ばかりではなく、他の弟子達にも役割を振り分けておかなければなりません。大船教会牧師の渡辺誉一君、川崎境町教会牧師の佐竹拓平君、さらに横浜上原教会牧師の古旗誠君がいます。古旗君は他の教会出身ですが、神学生時代に当教会で修行しましたし、当教会の女性と結婚していますし、弟子の一人だと思っています。私の葬儀の時には、聖書朗読・祈祷・略歴紹介等の任を司式者と共に担ってもらうつもりです。こうしてスタッフは揃っているのですが、式次第や葬儀の段取り等が気にかかります。式次第は今のうちから作っておくでしょう。問題は火葬前式、火葬直前の賛美、お骨挙げのお祈り等、マニュアルではなく、実際に会得してもらいたいのです。今はそれぞれの教会の牧師ですから、実際の伝達は困難です。だから、細かいことまで望みませんが、葬儀は生きたものの証しですから、私たちは、それなりに葬儀の準備しておきたいのです。
聖書の言葉
「わたしたち、いつもイエスの死を体にまとっています。イエスの命がこの体に現れるために。」(コリントの信徒への手紙<二>4章10節)