鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

主が共にある人生(私の洗礼記念日)

キリスト教では10月の第一日曜日を「世界聖餐日」としています。「聖餐」とはイエス・キリストの御体をいただくことです。すなわち、小さく切ったパンはイエス様の体であり、ぶどう酒はイエス様の血であるのです。「最後の晩餐」の名画がありますが、その画は弟子達に聖餐の原型を示している画なのです。晩餐のとき、イエス様はパンを取り、感謝の祈りをささげてそれを裂き、「これは、あなたがたのためのわたしの体である。わたしの記念としてこのように行ないなさい。」と言われました。また、食事の後で、杯も同じようにして、「この杯は、私の血によって立てられる新しい契約である。飲む度に、わたしの記念としてこのように行ないなさい」と言われました。このことは今日に至るまで聖餐式として行なわれているのです。教会によっては、毎週日曜日の礼拝で聖餐式を行なっているところもありますが、大塚平安教会は毎月第一日曜日に聖餐式を執行しています。
10月の定例聖餐式は世界聖餐日でありました。世界のキリスト教の人々が聖餐式に臨み、思いを一つにし、心を一つにして地上の平和を祈るのです。平和はイエス・キリストの十字架を通して実現するのです。世界聖餐日の意義は世界の人々が一つ心になるということであります。実は、この世界聖餐日は私自身にとりましても意義深い日でもあるのです。
昨日は葬儀、死のことについて記しましたが、今日は私が生まれた日について記しています。出生ではなく、信仰に生まれるということであります。この世界聖餐日に洗礼を受けました。1957年10月6日の世界聖餐日、私が高校3年生、18歳のときでした。私は小学校3年生の頃から日曜学校に通い始めました。それは近くにある関東学院六浦の教会でありました。中学生になってからは、二人の姉が出席していた清水ヶ丘教会に出席するようになったのです。高校生の頃、教会の青年会が葉山で修養会を開催しました。修養会は聖書を学び、信仰を励ます集いですが、楽しい交わりもあります。海水浴のプログラムもありました。皆さんと共に水泳を楽しんでいるとき、いつの間にか泳いでいるのは私と牧師の倉持芳雄先生でした。並んで泳いでいるとき、今までもやもやしていた気持ちが一気に出てきたのです。すなわち、洗礼を受けるということです。実に泳ぎながら洗礼の決意を牧師に告白したのでした。倉持先生も泳ぎながら、喜びを示してくれました。それが8月のことであり、洗礼の準備を経て10月6日の世界聖餐日に洗礼を受けました。
洗礼式の礼拝では、倉持牧師は私が海で泳ぎながら洗礼の告白をしたとお話されました。倉持牧師にとっても印象的なことであったのでしょう。その後、私が神学校に入ったとき、礼拝後、皆さんに紹介したときにも「泳ぎながらの洗礼告白」を話すのです。そして、その話は私たち夫婦が婚約式を清水ヶ丘教会で挙げたときにも、結婚式のときにも話すのでした。今度お話されるのは、私の葬儀のときですが、倉持芳雄先生は既に天におられるのです。従って、自らの略歴を書くとき、「泳ぎながらの洗礼告白」を強調して記すことにいたしましょう。
洗礼を受けてから49年になります。洗礼が基となって、私の人生は牧師であり、幼稚園の園長へと導かれました。それにより多くの人々との出会いが与えられたことは大きな喜びであります。教会の皆さんはもちろんですが、綾瀬ホームとさがみ野ホームの利用者や職員の皆さん、幼稚園の子ども達と保護者の皆さん、そして教職員の皆さんです。実に何万人の皆さんと出会い、お交わりをいただいているのです。こんなに素晴らしい人生であると思っています。信仰の人生は大きな祝福であり、喜びであると思っています。
大塚平安教会は永年信仰者として信仰50年になるとお祝いしています。毎年、8月の教会創立記念日にはお祝いのときを持ちます。今日まで16名の皆さんのお祝いをしました。今後も永年信仰者が増えていくでしょう。祝福の人生の皆さんを心から喜ぶしだいです。
聖書の言葉
「このわたしがあなたの口と共にあって、あなたが語るべきことを教えよう。」(出エジプト記4章12節)