鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

御言葉を宣べ伝えなさい(回想の伝道修行)

今日は神奈川教区の伝道協議会が開催され、大塚平安教会からは3名の皆さんが出席しました。4教会の発題があり、それに基づいて懇談をするという内容です。私は出席しなかったので、この日記はその報告ではありません。伝道ということから、いくつかのことが思い出され、所見をもちました。「伝道」というのはイエス様の救いを人々に述べ伝えることです。それに対して「宣教」という言葉があります。宣教はイエス様の教えと共に働きが伴います。例えば、教育の分野において、イエス様の福音において教育を行ないます。福祉、医療等も然りです。イエス様の福音はすべてにおいて喜びを与えるのです。伝道はイエス様の教えそのものを示すことであります。
私のキリスト教における誕生については昨日の日記に記しました。高校生の頃、将来は伝道者・牧師になることの決心をしていました。それで、伝道をしなければという使命がありました。キリスト教について分かりやすく記されたパンフレット、トラクトと称していますが、お正月に配布することを思い立ちました。その頃は、横浜市金沢区に住んでいました。トラクト配布の場所を選んだのは葉山でした。何故か葉山に行ったのです。葉山の家並みにトラクトを配るということです。家からは30分もあれば行かれる距離でした。葉山の町並みは道沿いにある家は少なく、道路から引っ込んだ家が多いのです。そして、お正月でもあり、道を歩く人はほとんどありませんでした。それでも何件かのポストにトラクトを入れましたが、ほとんど持ち帰ったという結果でした。なんかむなしさを味わいました。
ラクトといえば、宮城の教会に赴任したとき、全国トラクト運動というものがあり、配布するなら無料で提供のことを知りました。気持ちを大きくして、この地域全域に配ろうと申し込みました。3千枚くらい届けられたと思います。それで配り始めましたが、地方のトラクト配りがどんなにか大変であるか知りました。大体、家は続いてはいないのです。隣の家までかなり離れているのですから。いくらも配布しないまま止めてしまいました。
宮城の陸前古川教会に赴任してから数年後であったと思いますが、開拓伝道が始まりました。教会から30分離れた築館町であり、そこに一人の信者の方がおられました。その方が町の中にある編み物学校を借りてくださり、月に一回、日曜日の午後に集会を開くことになったのです。私たちの教会がその町で集会を開く計画をもったとき、仙台の広瀬河畔教会も同じような計画を持っており、合同で行うことになりました。最初は両教会とも教会員が参加しましたが、最終的には両教会の牧師だけの働きになってしまいました。町に案内書を配ったりして集会の呼びかけをしましたが、結局誰も来ませんでした。教会から皆さん都合が悪くて誰も参加しないときは私が一人でいきました。事前に案内のチラシを配布しているので、集会所で待っているのですが、誰も来ないのです。2、3年続けましたが、終了せざるを得ませんでした。
陸前古川教会の礼拝自体、新しい人はほとんど来ません。古くからの教会員と幼稚園を卒園し、教会学校に通っている子ども達が成長して礼拝に出席するのです。そしてこの町に転居されてきた他の教会の人たちです。毎週の礼拝は16、7名であり、少し多いときで20名前後でした。夜の祈祷会は牧師夫婦のほかは2、3名の教会員が出席していました。教会にはあまり人が集まりませんが、幼稚園がありましたので、週日は活気がありました。古い幼稚園であり、町の人たちはよく知っているのです。私は幼稚園の園長ではありませんでしたが、幼稚園の教会の牧師という重みがありました。幼稚園の設置者でもあるからです。
伝道は困難です。しかし、困難な伝道の中にも、イエス・キリストの救いに導かれる人はいないのではありません。確実に救いにあずかる人々がいるのです。従って、無益と思えるような伝道こそ必要なのです。
聖書の言葉
「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。」(テモテへの手紙<二>4章2節)