鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<288>

隠退牧師の徒然記(2013年7月20日〜)<288>
2014年9月30日「山登りを…」


聖書の言葉
目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。私の助けはどこから来るのか。わたしの助けは来る。天地を造られた主のもとから。
詩編121編1-2節)



 御嶽山が噴火し、多くの犠牲者が出ていることで心を痛めている。2014年9月27日の正午近くに噴火した。噴火から三日を経過しているが、今も続く噴火状況、犠牲者の救出、捜索活動が続けられているが、噴火中のことでもあり、ガスの危険もあり、迅速に捜索活動が出来ないようである。ニュースのその後については絶えず報道されているので、ここに記す必要はないが、歴史の事実として状況を報告しているのである。しかし、まだ捜索中であり、進展する状況がある程度落ち着いた段階で被害状況を記しておくことにしよう。
 若い頃は登山を趣味とし、いくつかの山に登ったものである。といっても本格的な登山をめざしたのではなく、休みともなればハイキング程度の登山をしたということである。それでも八ヶ岳連峰の登山をしている。南アルプスのどこかの山に登った記憶があるが、どこの山であったか定ではない。富士山には二度も登っている。いずれも23歳になって神学校に入る前である。神学校を卒業し、牧師の道を歩み始めたので、登山の思いは消えていたし、教会の職務でそれどころではなかった。牧師になって最初の10年は東京の青山教会、宮城の陸前古川教会、兼牧の登米教会に務め、趣味が登山であることなど忘れている。そして10年後になって大塚平安教会に就任する。教会の牧師と共に幼稚園園長、理事長等忙しさが増してくる。そして二つの施設の嘱託牧師であり、刑務所や少年院に月に一度ずつであるが関わるようになる。そして大塚平安教会の牧会年数が進む中で、湘北地区の委員、神奈川教区の役職等を担うようになるのである。教区議長の頃は、日曜日や祝日に出かけることが多くなる。他教会の牧師就任式司式、教会設立式等に参与しなければならなくなるのである。神奈川教区の要職を担うようになるのは1990年代である、1980年代後半も神奈川教区の諸委員会を担っていたが、そんなに時間は取られなかったと思う。1979年に大塚平安教会に就任したが、前記したように牧師になった最初の10年以上に忙しくなっている。しかし、なぜか山行が多かった。牧師館から見る西側の眺めは、大山や丹沢連峰であり、「おいで、おいで」と誘われているようであった。教会の青年と丹沢に登ること5、6回くらいはある。他は家族と低山に登ったりしたが、一人でも丹沢には10回くらいは登っているのである。朝日ハイクのツアーがあり、そのツアーで谷川岳大菩薩峠の登山をしている。忙しいと言いながら、よくも登ったものである。朝日新聞の朝日ハイクのチラシが楽しみであった。さて、今度はどこに行こうかと、胸を躍らせていたのである。今は朝日新聞を購読してないので、その楽しみはない。
 しかし、1990年代半ばころからは、日曜日も祝日も職務に追われるようになる。2000年代は日本基督教団の総会書記を担うようになり、特に一番登りたい時期の5月の連休は他教区に出かけなければならなくなるのである。その頃、日本基督教団内の17の教区が総会を開催するので、教団三役が手分けしてそれぞれの教区総会に問安師として出席し、挨拶するのである。北海教区、九州教区、四国教区等、17教区のほとんどを訪問している。せっかく九州まで来たので、どこかの観光をして帰る、と言うことは全くなく、いつもとんぼ返りなのである。早く帰らないと教会や幼稚園の職務がおろそかになってしまうのである。従って、教団書記になって以来、登山からは遠ざかっている。今から10年前は65歳にもなっており、機会があっても登山は控えていたのである。隠退してから、これといった職務もなく、毎日散歩することを常としているが、毎日2時間も歩いている。かなり歩くことでは自信が持てるようになっている。そのうち、丹沢でも登ろうかと思っているのであるが、やはり年齢を考えてしまう。
 以前のブログで、冒険家の三浦雄一郎さんが80歳でエベレスト登山を行い、見事に登頂したことが報じられており、そのうち私も丹沢の登頂を果たすなんて記していたが、その後、その報告はしていない。丹沢登山では、大倉尾根からからの登山は、登りは3時間とされているが、私などは6時間を要している。また降りは2時間とされているが、4時間は必要なのである。そうすると登り、降りで10時間も歩くことになる。今、毎日の散歩で2時間くらい歩いても、疲れを覚えないが、3時間も歩くと、さすがに疲労を感じる。やはり加齢と共に持久力がなくなるのである。登山のつもりで、3時間くらい歩くことを目標にしているのが一番良いのである。
 それにしても御嶽山に紅葉見物を兼ねて登った人々の災害に会われた人々を心に示され、お祈りしている。



八ヶ岳登山の時、20歳頃であろう。



富士登山、頂上にて。21、2歳の頃。友人たちと。