鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<289>

隠退牧師の徒然記(2013年7月20日〜)<289>
2014年10月2日「歴史を作りつつ…」


聖書の言葉
この巻物を開くにも、見るにも、ふさわしい者がだれも見当たらなかったので、わたしは激しく泣いていた。すると、長老の一人がわたしに言った。「泣くな。見よ。ユダ族から出た獅子、ダビデのひこばえが勝利を得たので、七つの封印を開いて、その巻物を開くことができる。」
ヨハネの黙示録5章4-5節)



 ドレーパー記念幼稚園後援会発行の「ドレーパーだより」が送られてきた。同幼稚園は私が大塚平安教会に1979年9月に就任し、2010年3月に退任したが、教会と並行して園長として担った。教会、幼稚園の在職期間は30年6ヶ月であった。長い歴史は、それだけに様々な思い出が刻まれている。その長い歴史の中で新しい歴史を築いてきたことも確かである。今回送られた「ドレーパーだより」もその一つである。このブログで、あたかも功績を誇るようなことは書きたくないが、人生の取り組みの一つとして書き残しておきたいのである。今回、発行された「ドレーパーだより」は第28号である。1年に一度の発行であるから、創刊より28年を経ていることになる。毎年、密度の濃い内容になっているが、今回も現在の全園児の写真、幼稚園の現況、保護者のサークル活動紹介、卒業生保護者の声、卒業生紹介等の内容であり、そして同窓会の報告として、第43回生と第46回生が掲載されている。後援会の発行であるので、「後援会だより」の報告も一頁を使用している。A4版8頁はまさに前記したように中身の濃いものである。今回もこんなに立派な会報を発行した幼稚園と後援会に感謝したい。
 生きているうちに歴史を記しておきたいと思っている。大塚平安教会の場合は35周年記念誌、50周年記念誌、60周年記念誌を発行しているので、歴史を紐解くのに大変便利である。しかし、ドレーパー記念幼稚園に関しては25周年記念誌を発行しているが、それは25年前なので、その後の大事な事柄については断片的な記録を拾い集める以外にはない。それは発行されている「けやきの木」と言う文集であり、後援会が発行している「ドレーパーだより」である。あるいは「園のたより」もあるが、残念ながら手元にはおいていない。「ドレーパーだより」も過去の発行分は手元にはない。しかし、私自身がブログに幼稚園の歴史的なことを書いているので、ブログが何よりの歴史資料にもなるのである。今まで発行している「ドレーパーだより」は幼稚園で保管しているので、手元にはないが、その「ドレーパーだより」についてブログに記しているのは、過去15回である。私のブログは2006年6月から書き始めているが、その年の9月29日のブログに、「ドレーパーだより」発行について記しているのである。誠にありがたい記録が残されている。だから、適当な歴史の資料がないなどと嘆かないで、自分が残している歴史を紐解けば、だいたいの流れを確認することが出来る。「ドレーパーだより」、「後援会」等、ブログの日記を検索すれば、いつ、何を書いているのか、すべて残されている。いくつかを検索してみたら、何よりも多いのは「スミさん」であった。数えきれないほどブログに記されているのである。だから、全体的なブログの題を「スミさん」とでもしようか。
 ところで、今回は「ドレーパーだより」の発端を記しておきたいのである。「ドレーパーだより」の発端を調べるには、何よりも「ドレーパー記念幼稚園25周年記念」が基となる。1984年9月28日、ドレーパー記念幼稚園の後援会発足準備委員会を開催する。幼稚園に比較的近い「花鮨」の二階で開催された。集まっていただいたのは、歴代「母の会」の会長さん達である。後援会を発足させる一つの目的は、1987年に幼稚園創立25周年記念事業を行なうので、ご協力を頂くためであった。そして、発足した後援会は、25周年を迎えるために、「ドレーパーだより」を発行し、卒業生の皆さんにも意識を向上してもらいたかったのである。このように歴史を回顧すると、この「1984年9月28日」は記念すべき日になる。後援会が発足すること、25周年記念会の準備が始まったこと、会報「ドレーパーだより」の発行準備が始まったことである。そして、その「記念すべき会議」の翌年、1985年10月1日に「ドレーパーだより」第1号が発行されたのである。そして、同じく1985年に「後援会」も発足し、1987年に迎える25周年記念と今後の方針を決めたのである。
 「1984年9月28日の記念すべき会議」から今年の2014年は30年を経ている。今まで25周年以降の歴史が残されていないので、「記念すべき会議」は心にとめていただきたいと思っている。そして、「記念すべき会議」を基として、現在の幼稚園が祝福のうちに導かれており、並行して後援会活動、「ドレーパーだより」の発行が今も輝いているのである。これまでドレーパー記念幼稚園を支え、担い、協力された皆さんに感謝したい。そして、現在も祝福の歩みを担っている皆さんに、おしみなく感謝している。ありがとう…。



発行された「ドレーパーだより」。
拙い筆字は私が書いた。お恥ずかしいのであるが、
今でも使われていることを喜んでいる。