鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

与えられた賜物により…(幼稚園後援会の働き)

「ドレーパーだより」が発行されました。毎年、10月1日付けで発行されています。これは後援会が発行するもので、幼稚園が発行しているのではありません。卒業生と幼稚園との繋がりを保つために「会報」を発行しているのです。幼稚園としては生涯教育の意味で発行を願っています。発行にあたり、原稿を集め、パソコンで版下を作り、印刷を行い、発送まで、すべてを後援会が担っています。心から感謝しています。29日に担当されている方から、発送もすべて終えたという報告をいただきました。幼稚園周辺の卒業生にはお届けし、後は郵送します。とにかく細かいお仕事を後援会の皆さんが担ってくださり、本当に頭の下がる思いでいます。
後援会が発足したのは1984年でした。その年の9月28日に後援会発足準備委員会を花鮨の二階で開催しました。後援会を発足させる一つの目的は、1987年に幼稚園創立25周年記念事業を行なうので、ご協力を頂くためでした。そのため在園中、幼稚園母の会の会長を担ってくださった皆さんにお集まりいただいたのです。そこで今後の活動のために委員を選任いたしました。そして、1985年に委員会を開催し、後援会の位置づけと方針が定められました。いくつかの方針について記しておきましょう。
<後援会活動について>
後援会はドレーパー記念幼稚園を背後から支え、また卒業生とのパイプ役となり、時代に存立する幼稚園の使命を共に担う活動を行う。その目的を達成するため、「ドレーパーだより」を年一回発行する。
<会報の発行について>
会報「ドレーパーだより」を 年一回発行する。会報はドレーパー記念幼稚園の教育理念が単に在園中だけでなく、卒業後も園の教育に示されながら成長する、生涯教育の使命に立つ。また、卒業生の消息や動向、幼稚園の現況等を掲載する。
こうして「ドレーパーだより」が発行されることになり、1985年10月1日付けで第1号が発行されました。以後、毎年発行されるようになり、今年で第20号が発行されたのでした。改めて第1号から20号までをひもといてみました。第一面には園長が巻頭言的に記し、写真を掲載しています。20年前の園長は若かった、当たり前ですが。それから、欅の木も若かったと思います。第1号には園舎と図書館を背景に欅の木が写っています。今の欅の木を見るにつけ随分と太くなったなあと思います。第1号には後援会初代会長・弦巻幸子さんがご挨拶を記しています。弦巻さんは2年間会長を担われましたが、1987年から佐竹順子さんが会長に就任され今日に至っています。弦巻さんは数年前に逝去されました。後援会のご活躍を遺影の前で心から感謝したのでした。後援会の委員となってくださる皆さんにも心から感謝いたします。当初は父母の会の会長が後援会の委員になることになっていました。しかし、必ずしも後援会の委員になることはできません。それで、父母の会の委員をしていたどなたかに後援会の委員になっていただくことになりました。しかし、それも連携が取れません。結局、今はどなたでも後援会でお働きくださる方にお願いしているのです。義務でも責任でもなく、ご協力くださる皆さんの活動が後援会の活動ということになっています。
後援会は会報の発行が大きな働きになっていますが、11月23日に開催される幼稚園のバザーに後援会コーナーを設け、卒業生と保護者の皆さんとのふれあいを深めています。「ドレーパーだより」でバザーのための献品を依頼します。卒業生の家庭から協力の品物が届けられます。バザー当日は、あたかも同窓会のように、懐かしい皆さんとお会いするのでした。消息を尋ねあい、その後の健在を喜び合うのでした。今年も11月23日にバザーが開催されます。お出かけください。
聖書の言葉
「わたしたちは、与えられた恵によって、それぞれ異なった賜物を持っていますから、奉仕の賜物を受けていれば、奉仕に専念しなさい。」(ローマの信徒への手紙12章6節~)