鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

目を上げて山々を仰ぐ(登山の勧め・刑務所で)

第四木曜日は八王子医療刑務所にいきます。家庭集会が綾瀬深谷地区の佐竹順子さんの家で開かれました。例によって、集会後は皆さんが持ち寄りのお昼ご飯をいただきました。なるべく控えめに食べながらも、やはりお腹いっぱいになり、その後は八王子へと向かいました。車で1時間20分、眠気と戦いながら、午後2時前には到着しました。
今日も5人の皆さんが教誨を希望されました。最近、この人たちが出席しており、冗談まで言えるようになっています。聖書のお話をし、讃美歌を歌った後は質問・感想の時間としています。いろいろ懇談しているうちに、山登りの話になりました。それは私のほうで話し始めたのです。もともと趣味の話をしていたのですが、私の趣味を話すこととなり、山登りがわたしの趣味であると言いました。山登りがどんなにか素晴らしいことであるか、また精神の充実が与えられるかをお話しました。あえぎあえぎ山に登り、頂上を極めたときの感動は忘れられない思い出であります。皆さんの中に山に登った人がおられるかと聞きました。「もし、山に登っていたら、ここ(刑務所)にはいませんでした」と一人の受刑者が言いました。確かにそうかもしれません。自分の気持ち以外の世界を知ること、自然という、自分を包んでくれる大きな存在に接するなら、自分を中心には生きないでしょう。出所したら、山に登りますとも言われるのでありました。「そうしたら良いですよ。人生が大きく開かれますよ」と励ましました。
私の山登りは高い山々を遍歴するようなものではありません。若い頃に八ヶ岳や木曾駒ケ岳に登ったくらいで、後はもっぱら近くの山でした。それも大塚平安教会に赴任してから近隣の山に登るようになっています。谷川だけや大菩薩峠へは朝日ハイクのツアーでいきましたが、他はほとんどが丹沢山塊なのです。一番の思い出は、三女の百合子がまだ小学生三年生くらいであったかと思います、丹沢の物見峠にいきました。最初は順調に山登りをしていましたが、どうやら道を間違えたらしく、行けども行けども目的地に着かないのでした。物見峠は低山ですから、下を見れば自動車道も見えますし、人の姿も見えますから、道を間違えたといっても心配ではありません。しかし、歩き続けること、もはや夕闇が迫っていました。ようやくヤビツ峠に達したときは暗くなっていました。もう秦野行きのバスもありません。やむなく、ヤビツ峠から秦野に向けて歩いたのです。自動車道ですから時々車が通り過ぎていきます。ヒッチハイクよろしく、頼めばよいのですが、そこは登山者の自負があり、ついに秦野の駅まで歩いてしまいました。10時間くらい歩いたのでしょうか。百合子はその頃は今ほどの体つきではありませんでしたので、小学校三年生ながら、よくも一緒に歩いたと思っています。
その後、今は大船教会の牧師をしている渡辺誉一君と山小屋泊で丹沢主脈縦走を試みました。その頃、彼は同志社大学の神学生でありました。大倉尾根から登るうちにも雨が降ってきました。目的地の丹沢山の小屋についた頃はかなりの雨でした。山小屋でろうそくをつけながら食事をしたことは懐かしい思い出です。翌日も雨が降っていましたので、縦走はあきらめて下山したのでした。教会員の太田英樹君とは2、3回上っています。一度は、5、6年生になっていた百合子と三人でした。暗くなってしまった下山途中で、百合子が足首を捻挫してしまいました。それで私と太田君とで彼女を背負って歩いたのですが、その頃の彼女は随分と肉がついていたので、5分も背負うことができず、太田君と苦労しながら下山したことが思い出されます。他にも登山に関してはいろいろなエピソードがありますが、別の機会に記すことにいたしましょう。
刑務所で務めを果たしている皆さんも、出所したら山に登り、山では神さまの声が近くで聞こえますので、神さまのお心をたくさん示されてもらいたいものです。山を愛する人は神さまを愛する人なのです。そして、いつも山に向かう姿勢を持ってもらいたいです。
聖書の言葉
「目を上げて、わたしは山々を仰ぐ。わたしの助けはどこから来るのか。わたしの助けは来る、天地を造られた主のもとから。」(詩編121編1節)