鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

真心をもって一緒に食事をする(大塚平安教会の愛餐会)

 
 今日は日曜日、神様を礼拝する日でした。日曜日を週末と考えるのは社会ですが、キリスト教は週の始めの日としています。カレンダーの日曜日は最初に置かれているのに、多くの場合、ダイアリーは月曜日から始まり日曜日で終わっているのです。私が使っている手帳は「牧会手帳」と言い、日曜日から始まっています。本来、ユダヤ教では土曜日が安息日、すなわちお休みなのです。神様は天地をお造りになり、土曜日に安息されたのです。従って、人間もこの日を聖なる日とし、いかなる仕事もしてはならないのでした。それに対して、キリスト教は日曜日にイエス・キリストが復活されたので、復活の主を喜び、神様を礼拝する日としたのでした。神様を礼拝することから一週間が始まるのです。週末だから教会に行くのではなく、週の初めだから教会に行くのです。神様の力を得て力強い一週間を歩みたいと願っています。
ところで今日は第一日曜日ですので愛餐会が開かれました。シオンの集いというグループが「そば・うどん」を用意します。食券は200円です。食事をしながらそれぞれ歓談するのでした。単に「そば・うどん」ではなく、いろいろな具がありおいしくいただいております。愛餐会は第四日曜日にも開かれます。この日は教会の壮年会のメンバーがカレーライスを用意してくれます。最近はカレーライス作りがとても上手になり、お店のものと変わらない?とも思えるのでした。
 大塚平安教会は愛餐会を通して皆さんの交わりが深まっていますが、クリスマスやイースターにおける祝会も楽しみのひとときであります。それらの日はポトラック、持ち寄りの食事となります。皆さんが一品、二品の食べ物を持ち寄り、中央のテーブルに置き、おいしそうな食べ物を自由にいただくのでした。持ち寄りをやめてお弁当を用意する意見もありますが、やはり持ち寄りがよいということになり、久しく持ち寄りの食事としているのです。私共の子ども達も、以前は一生懸命に食べ物を作り、持ち寄りに加えていました。果たして食べてくれた人がいたのかどうか…。
 ある教会が創立記念集会を開催しました。立食でおいしい食べ物がたくさん並べられています。皆さん食べ物をお皿に取り、食べながら歓談しています。そこへホームレスと思えるような人が入ってきて、お皿にとっては食べ始めたのです。もちろん誰も知らない人なのでした。お祝いの会に出席していた人たちは、しばし遠巻きにして見ていたというのでした。その後のことは知りません。主催者が注意したのか、あるいは皆さんがその人を交えて祝会を続けたのか。
 聖書は全体を通して神様の人を養うことが示されているのです。奴隷から解放され、モーセの導きのもとに約束の土地へと向かったとき、神様は40年間マナという食べ物を与えて養ったと記されています。イエス・キリストが現れ、人々に神様のお心を示したとき、あるときは5千人、あるときは4千人の人々のお腹を満たしたと記しています。最初の教会の人々は、いつも共に集まっては食事をしていました。喜んで食事の集いを持ったのです。それらの聖書を読むとき、神様は私たちの霊の糧と共に肉の糧、日々の生活をも省みて下さっていることを示しているのです。そして、イエス様は最後の晩餐で、お弟子さん達にパンを配りながら、今後は私の体と思って食べなさいと言われたのです。聖餐式としてパンとぶどう酒をいただき、霊肉共に強められるのでした。
 今日は礼拝後に愛餐会があったので、教会における食事について書くことが及びました。8月第二日曜日は教会の創立記念日であり、礼拝後は幼稚園の庭でバーベキュー大会が開かれます。また食べる喜びと信仰の交わることを楽しみにしています。

聖書の言葉
「家ごとに集まってパンを裂き、喜びと真心をもって一緒に食事をし、神を賛美していたので、民衆全体から好意を寄せられた。」(使徒言行録2章46〜47節)