鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

なんという恵み、なんという喜び

 
心配していた天候は曇り空であり、今日は城山公園への歩き遠足を実施することにいたしました。以前は歩いて行ったものですが、最近は園バスを併用するようになりました。途中まで園バスで行き、そこから歩くのです。年少の皆さんはかなり近くまで園バスに乗りますが、それでも結構歩きます。綾瀬市は城山公園を整備し、公園への道もきれいに整備しましたので、楽しい散策の時ともなっています。年長の皆さんと歩きながら、いろいろなお話ができるのがとてもうれしいことです。
当園の遠足は今日のように歩いて出かけます。5月の保護者との遠足も、今年は二俣川の大池公園でしたので、電車で行き、駅から公園まで歩いたのでした。行くときは子ども達が先に歩き、保護者の皆さんは後ろから歩きます。そして、帰りは現地解散ですので、三々五々連れ立って帰ってくるのでした。
遠足の時には園長が先頭を歩きます。子ども達とお話しながらの道すがらであり、園長としても子ども達とのふれあいが増し加わるときなのです。「園長先生より前に出て歩いてはいけないんだよ」と、先走っていた子をとがめるお友達もいます。園長のすぐ後ろを歩いている子ども達が、お尻を突っついたり、後ろ手で歩いているので、手にいたずらをしたりします。そして、めったにない園長との対話を楽しんでいるようでもあります。
遠足はふれあいが大事でありましょう。昔は観光バスを借り切って出かけました。その場合、子ども達と保護者は別々のバスに乗ります。現地では保護者と一緒にお弁当を食べますが、現地でのプログラムもあり、親子のふれあいが少ないと思いました。苦い思い出があります。観光バスで出かけ、保護者を乗せた帰りのバスが一台迷子になってしまい、かなり遅くなって幼稚園に着いたのでした。その頃の園児数は180名くらいいたのですから、観光バスも数台連ねたと思います。そのバス会社も変な会社で、今から思うとそれは白バスというものでした。私が赴任してまもなくのことであり、その頃まだ40歳そこそこでしたから、世の中のことが分からなかったのでした。そんな遠足をしたことをいまさらながら後悔しています。その後、観光バスを頼む場合、天候の問題があり、雨で延期であったりすると、バスの兼ね合いが難しくなることもあり、近くの公園に散策とふれあいの遠足とするようになりました。親子のふれあい、また園長としてもふれあいが深まり、良い遠足となっています。
ベンチで、いわゆる本部で留守番しながらベンチに座っていると、教師が一人の園児を連れてきて、ちょっとお願いししますと言い、その子を預けて立ち去りました。まもなく、その教師が迎えに来たのですが、教師とともに遊びに行くことを拒否し、私の隣で座り続けていました。「お友達と遊ばなくてもいいの?」と聞きました。黙って私の手を握り締めているのです。きっと、お父さんと一緒にいる思いであったのでしょうか。もはや、おじいさんであるのに、なんとなくうれしい思いをしました。
子ども達との遠足は、いわゆるぶらぶら歩きでもあります。そういう歩き方はとても疲れます。でも、ふれあいの収穫が多いときなのです。神様のお導きを感謝した一日でした。

聖書の言葉
「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。」
詩編133篇)