鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

与えられた恵みによって

 大塚平安教会は知的障害者の施設・綾瀬ホームとさがみ野ホームとのかかわりをもっています。もともとキリスト教を土台として創設されているのです。両ホームの園長は大塚平安教会の教会員であり、教会を支えてくれていますが、大塚平安教会の皆さんも両ホームを祈りつつ支えているのです。私は嘱託牧師として両ホームにかかわっています。毎週の礼拝を担当し、葬儀があれば司式をいたします。綾瀬ホームは木曜日、さがみ野ホームは金曜日に礼拝をささげているのです。
今日は木曜日で綾瀬ホームの礼拝がありました。まず、8時30分から職員の礼拝があります。讃美歌を歌い、聖書を輪読します。その後、聖書に関して奨励を行い、お祈りして終わるのです。職員の皆さんはホームがキリスト教を土台として存立していることを理解しているので、礼拝にはある意味で義務として出席します。いつも思わせられていますが、どの程度聖書のお話を受け止めてくれたか、ということです。以前、ホームの元職員と電車の中でぱったりと会いました。私は気がつかなかったのですが、元職員が声を掛けてくれました。勤務していた頃、礼拝をしたことの思い出は忘れられないと言いました。でもお話の内容はまったく覚えていませんとも言うのでした。でも、礼拝で聖書を読まされたことがいつまでも忘れられないとも言うのです。その聖書の言葉も忘れていますが、とにかく、自分は聖書を読んだという強みがあるといっていました。今も職員礼拝を続けていますが、元職員の感想でも良いと思います。礼拝を通してホームで利用者の皆さんとのふれあいが、祝福のうちに導かれることを祈りつつ礼拝をささげています。
職員礼拝が終わると、部屋の外にSさんが待っています。ヒムプレーヤー(讃美歌の伴奏器)を利用者の皆さんが礼拝する場所へ持って行ってくれるのです。これが彼女の使命でもありました。この勤めをするようになったいきさつがあります。当初は利用者の礼拝が始まる前に、職員がヒムプレーヤーを運んでいました。利用者の礼拝が終わるとYさんが元の場所へと運んでくれていたのです。ある日、Yさんがしばし入院しました。その時、Yさんの仕事を買って出たのがSさんでありました。嬉々として運び方のお仕事をしてくれていました。Yさんが退院してきました。不安がよぎりました。礼拝が終わったとき、Yさんは自分の仕事としてヒムプレーヤーを取りに近づきました。もちろんSさんも、もはや自分の仕事として運ぼうとしたのです。そこで二人はもみ合いになりました。園長が二人に割って入り、それぞれ説得しました。Sさんは園長の説得を受け入れました。もともとYさんの仕事であったからです。Yさんは再び運ぶうれしさをあらわしていました。SさんはYさんの後ろ姿を見送り、「わたし、ゆずってあげたんだ」とポツリと言いました。肩を落としているかのようなSさんに、利用者の礼拝が始まる前に取りに来るお仕事の話を持ちかけました。Sさんはぱっと明るくなって、そうすると言うのでした。
それからは、職員礼拝が終わる頃には部屋の外で待っています。そして、今まで職員礼拝で使っていたヒムプレーヤーを利用者が礼拝する場所へと運んでくれるのでした。「さっきから まってたんだよ」と言い、笑みを浮かべつつ運んでくれるのでした。

「わたしたちは、与えられた恵みによって、それぞれ異なった賜物を持っていますから、預言の賜物を受けていれば、信仰に応じて預言し、奉仕の賜物を受けていれば、奉仕に専念しなさい。また、教える人は教えに、勧める人は勧めに精を出しなさい。施しをする人は惜しまず施し、指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は快く行いなさい」(ローマの信徒への手紙12章6~8節)