鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

神さまのおこころの働き人

 

大塚平安教会は日本基督教団という包括団体に所属しています。その日本基督教団は全国を17ブロックに分け、17教区を構成しています。神奈川教区は107の教会・伝道所により構成されているのです。その総会が本日開催されました。最近は横浜の清水ヶ丘教会で開催しています。この教会は私の出身教会でもあります。
教区総会は、今回は事業報告と決算報告を承認することでありますが、その他、新しく牧師になる人の儀式があり、あるいはこの秋に開催される日本基督教団総会の議員の選挙も行われました。このようなことを記しても、この日記を読まれる方は興味がないと思いますので、教区総会で出会った人たちについて記しておきましょう。
今は川崎境町教会牧師及び付属幼稚園園長として働いている佐竹拓平先生と会いました。今回の総会で投票委員のお仕事をしていました。彼は、もちろん当教会の出身であります。当幼稚園を卒業し、小学校・中学校を進む中でも当教会学校に通いつつ成長したのです。そういう中で将来の道が伝道者へと開かれたのでした。神学校を卒業し、最初の働き場所は横浜にある蒔田教会伝道師でありました。この教会の牧師は日本語で礼拝の説教をいたしますが、外国人も出席していますので、英語でも説教をするのです。佐竹拓平先生が赴任したとき、彼も当然英語で説教をしなければなりません。あの彼が、英語で説教をしていると聞き、なんだかあいた口がふさがらなかったことを覚えています。立派になったなあ、と思ったわけです。3年後に岡山博愛会教会に主任牧師として赴任し、結構苦労してまいりました。7、8年いたのかな? 3年前に川崎境町教会牧師・園長に就任したのでした。一生懸命勤めに専念していることでうれしく思っています。彼の母上は幼稚園後援会長の佐竹順子さんであり、五番目のお子さんなのです。六番目が今は幼稚園の職員として勤めている佐竹和平さんなのです。
当教会の出身牧師としては森田裕明先生がおります。教区総会で会うことができ、彼も元気に牧師の務めをしております。当幼稚園の教諭として勤務しているうちに牧師になることを決意し、神学校に通いました。卒業して最初の任地は北海道の北見望ヶ丘教会でした。その後、現在の横須賀上町教会に赴任しました。付属のめぐみ幼稚園の園長でもあります。佐竹拓平先生より先輩ですから、先に紹介するべきでしたが、他意はありません。
当教会の出身牧師としてはもう一人、大船教会の渡辺誉一先生がいます。今回の教区総会には都合で出席されませんでした。教会建築を計画しているところであり、忙しいのでしょう。彼の夫人が旧姓・高橋玲子さんなのです。玲子さんは幼稚園の歌唱指導を最初に行いました。また、コールシャロンのコーラスグループやコールエンジェルの生みの親でもあります。
当教会の出身牧師は他にも数人いますが、神奈川教区で牧師として働いている人だけを紹介しました。教区総会で会うことができましたので、彼らの成長の過程を思い出したわけです。大塚平安教会からこんなにも出身牧師がいることを喜んでいます。そんなにも大きくない大塚平安教会から、神奈川教区内に三人の出身牧師が働いていることを喜び、また誇りにも思っています。神様のお心の働き人であり、この社会の中で大切な職務を担っているのです。

聖書の言葉
「収穫は多いが、働き手が少ない。だから収穫のために働き手を送ってくださるように、収穫の主に願いなさい。」
ルカによる福音書10章2節)