鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

花の日(私の人生の原点)

 今日は幼稚園の「花の日」でした。教会では6月の第二日曜日に「子どもの日・花の日」として「子どもの教会」と合同礼拝をささげています。幼稚園は「花の日」としての行事を持っています。この日は子ども達がお花を持参し、きれいなお花を飾りながら礼拝をささげます。こんなにきれいになお花を咲かせて下さるのは、やはり神様であることを示されます。そのことに関する聖書の教えはマタイによる福音書6書28節以下のイエス様の教えです。「なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意してみなさい。働きもせず、つむぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾っていなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか。」(新約聖書10頁)。神様のお恵みをいつもいただいている私たちを知るときなのです。礼拝後は年長組の子ども達がお花を持ってそれぞれ訪問をいたします。今年は三組に分かれて訪問しました。園医の先生、かしわ台の駅、消防署、交番、医院そして綾瀬ホームやさがみ野ホーム等を訪問し、お花を贈りました。その様子については幼稚園のブログを参照してください。ところで、「花の日」は私の人生の原点でもあります。毎年、教会や幼稚園の「花の日」を迎えると、しきりに私の人生の原点を示されるのでした。
 私は牧師になってから37年を経ています。この道を生きてきたものとして、私は本当に神様に感謝しています。私が牧師の道に進むのは、この「花の日」が原点であるのです。私が小学校1年生になるのは昭和21年であり、日本が敗戦となり、翌年のことでした。私の兄は戦後まもなく亡くなりました。栄養失調と肺炎が重なり、小学校4年生という短い生涯でした。母は戦争の疲れと子を亡くした悲しみを持ちつつ入院生活をしていました。ある日のこと、見知らぬ子ども達が病室を訪れました。お花を差し出しながら「早くよくなってください」と言うのです。見れば亡くした子どもと同じ位の子ども達でした。ぜんぜん知らない子ども達からお花を贈られ、母は大変感銘を受けました。それは6月の第二日曜日の「子どもの日・花の日」であり、近くの教会学校の子ども達がお見舞いしてくれたのでした。その後、母は退院いたします。退院するや、すぐさま私を、母を見舞ってくれた教会学校に連れて行ったのでした。その頃、私は小学校3年生でした。おそらく、子どもを連れてきた訳、自分を見舞ってくれたお礼等を述べたのでしょう。それからは日曜日になると、私を追い立てるようにして教会学校に通わせたのでした。私がどんな言い訳を言っても、教会学校に行かなければならなかったのです。3年生の途中から出席するようになり、4年生、5年生、6年生はほとんど休むことがなく、毎年精勤賞を贈られたのでした。母の叱咤激励というものでありましょう。その頃、友達がしている野球や釣りなど、日曜日はやりたいことがたくさんありましたが、母は私の気持ちでなく、母の気持ちにおいて私を教会学校に通わせたのでした。「自分の子どもも人様に喜んでもらう人になる」、その願いが母の私への叱咤激励であったのです。
 母の願い通りになっているか、今を生きる私の、いつも考えさせられていることなのです。私にとって、人様に喜んでいただく人生は主イエス・キリストに原点を置くことでした。教会に集まる子ども達、幼稚園に集まる子ども達が、イエス様のお心をいただき、お友達と神様に喜ばれる存在となることを心からお祈りしているのです。
 今は「子どもの教会」と称していますが、お子さんを励まし教会に通わせてくださるご父母の皆さんを知るにつけ、母の子どもへの思いが重なり、頭が下がります。何よりもお子さんと共に子どもの教会の出席してくださるご父母の皆さんには心から感謝をしています。「花の日」の行事が今後も祝福となりますよう祈っています。今日、お花をいろいろな人々に贈った子ども達は、きっと新たなる人間尊重へと導かれていることでしょう。