鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<249>

隠退牧師の徒然記(2013年7月20日〜)<249>
2014年5月10日「庭に咲く花は」


聖書の言葉
命あるもののうちに数えられてさえいれば、まだ安心だ。犬でも、生きていれば、死んだ獅子よりましだ。生きているものは、少なくとも知っている。自分はやがて死ぬ、ということを。
(コへレトの言葉8章4-5節)



大塚平安教会がいよいよ新会堂建設に入った。新会堂建設は、私が2010年3月に同教会を退任する前から計画されていたことである。約50年を経ている木造の建物であり、耐震的にも危険な建物になっていた。そうは言うものの、まだまだ使用出来るとの思いもあり、また土地の複雑な事情もあり、新会堂建設がなかなか進められなかったことも事実である。何よりも教会員の皆さんのお祈りが一つになり、新会堂建設へと動き出したのである。今までの教会の中に牧師館があり、2010年3月に牧師家族の荷物はすべて運び出したことになっていた。新しい牧師家族は別の場に住むことになり、今までの牧師館は結局物置になったわけである。すべて牧師家族の荷物は運びだしたことになっているが、屋根裏部屋があり、特に子ども達の物が置かれていたのである。屋根裏部屋については、4月30日付の245回のブログに「大切な物なので」と題して記している。4月25日に家族で屋根裏部屋をチェックしたのである。そのあたりもブログに記している。
ところで、その時のブログには書かなかったことを記しておくことにした。4月25日に屋根裏部屋をチェックするために大塚平安教会に赴いたが、もう一つの目的があった。教会の道路側の植え込みに犬を埋葬してあるので、その骨を掘り出すことである。我が家が犬を飼うようになるのは1982年である。その犬を飼うことになる前、一頭の大型犬が迷い込んできた。シェパード犬であったと思う。教会の前にうろうろしていたが、そのまま居座ってしまったのである。大型犬は子ども達になれ、散歩に連れて行ったりしていたが、一週間も居座ったかと思うと、あっという間に死んでしまったのである。フィラリアにやられたようである。悲しんでいる子ども達に幼稚園の隣に住んでいる「犬のおばさん」が野良犬のいることを教えてくれる。幼稚園の門の左の方に古い家が建っていた。もうかなりの年齢の犬を2頭飼っていた。飼い主のおばさんも結構年配であったが、とにかく犬のいる間はそこに住んでいたのである。迷い込んで居座った犬が死んでしまったのを知り、相鉄線の線路の側に可愛い野良犬がいることを子ども達に教えてくれたのである。
その頃、ドレーパー記念幼稚園卒業生の青年、笠倉正道さんが弱冠21歳で召天され、葬儀のことなどで私たち夫婦は笠倉家にいたのであった。そこへ我が家の三人の子ども達が犬を連れてやってきたのである。「犬のおばさん」に教えられて、野良犬を連れてきたというわけである。ちゃんと面倒を見ることを約束して飼うことになったのである。中型犬にしても小さい犬である。スピッツ犬が混じっているようで、毛のふさふさした可愛い犬であった。「犬のおばさん」が言うには一度出産している。子ども達がみんな小学生、羊子が6年生、星子が4年生、百合子が1年生の時であった。「チェリー」と命名された。チェリーは、当初は一日3回も散歩に連れて行かされる。まず百合子が学校から帰ると散歩に連れて行く。次に星子が帰ると散歩に行く。そして最後は羊子が帰ってきて散歩に行くのである。こうして運動が十分であったが、次第に運動量が減少する。子ども達が中学・高校生になると部活等で、帰宅するのは暗くなってからであり、学校での活動の疲れもあり、宿題等も多くなり、犬の散歩どころではなくなるのである。
そうなると犬の面倒は親がすることになる。ご飯を食べさせること、散歩に出ることである。チェリーと散歩していると、結構お父さんたちが犬の散歩をしている。「まったく、子ども達が面倒見なくなったもんで」との挨拶も口癖になる。チェリーを飼ううちにも、もう一頭の犬も飼うことになる。こちらは「ノア」との名前であったが、子どもの友達が置いて行ってしまったので、やむなく飼うことになったのである。従って、二頭の犬の散歩をしていたのである。チェリーは15、6年間、我が家にいたと思う。老衰で亡くなるのである。最初にいた犬、居座ってしまった犬は「図々しい」というわけで「ズーシー」と名付けていた。あまりにも大きいので市役所に埋葬をお願いしたのである。しかし、チェリーは比較的小さい中型犬であり、教会の外の植え込みに埋葬したのである。その後、数年後にはノアも亡くなるが、やはり市役所に埋葬を依頼したのであった。
大塚平安教会が新会堂を建設する際、いろいろと土地を更地にしたりするわけで、埋葬してあるチェリーを改葬してあげないと、どうなるかわからない。25日に行ったとき百合子と共に埋葬したと思われる場所を掘り起こす。なかなか出て来なかったのであるが、ついに見つけることができた。はっきりとした頭の部分を掘り起こしたのである。このチェリーを六浦の家、鈴木家の庭に埋葬することにしているが、掘り起こしたまま、まだ物置に置いている。そのうちきれいに磨いてあげることにしよう。そのまま飾っておくにしても、花の咲く庭に埋葬するのが一番良いであろう。大塚平安教会在任中も連れ合いのスミさんが教会の周囲に花をいっぱい咲かせていた。そして、今六浦の家の周囲も花が咲いている。その花が咲く庭に、再びチェリーが埋葬されることになる。庭の一角は小動物たちの埋葬地になっている。リスやクモ、亀達が埋葬されている。まさか人間はここには埋葬できないのであるが、一年中花が咲く庭に埋葬されるなんて、幸せな動物たちである。庭に咲く花は、人間の希望であるということ…。



鈴木家の庭に咲く花。もっと紹介したいのであるが…。