鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<464>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日〜)<464>
2018年6月4日「いつも原点を示されながら」



聖書の言葉
なぜ、衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて、明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる。まして、あなたがたにはなおさらのことではないか。
新約聖書・マタイによる福音書6章28-30節)



早くも6月を迎えてしまった。5月はゴールデンウィークがあり、私の誕生日があり、母の日等もあったりして、何かと喜びを共にすることができた。しかし、連休と言っても、とりわけ計画があるわけではなく、なんとなく過ごしたものである。むしろ、連休ともなれば登山をしたこと、それは若い頃のことであり、しかし、思い出を楽しむことも連休の過ごし方である。5月の連休で登山を楽しんだのは2002年までである。丁度、60歳前後であり、連休には我が家の子供、教会の青年達と丹沢や大山登山をしたものである。ところが、2002年の10月に日本基督教団の総会書記に選任されてしまい、それからは登山が遠のいてしまう。毎年、5月になると、日本基督教団の17教区が総会を開催する。その総会に日本基督教団として、議長、副議長、書記、総幹事が分担してそれぞれの教区総会に問安使として出席するのである。そこでは総会議長の挨拶文を読み、質疑応答があったりする。4人で17教区を訪問するので、少なくとも四つの教区を訪問することになる。北海道から九州、沖縄まで出かけることになる。一泊、二泊の教区総会であり、それも5月の連休に集中するのである。教団書記を担うこと4期8年であるが、もはや登山を楽しむときもなくなってしまう。その変わりほとんど日本全国に出かけたものである。しかし、訪問先が観光地でも、観光を楽しむときもなく、総会が終わればすぐに帰ってくるのである。何しろ教会や幼稚園の職務が待っているからである。教団書記は2010年10月に退任する。もうすでに30年間務めた大塚平安教会を退任しており、隠退の身分になっていた。隠退して迎えた5月の連休であるが、70歳を迎えており、登山への思いは薄らいでいた。2011年の5月はスペイン・バルセロナに滞在しており、2013年5月はマレーシア・クアラルンプールでボランティア牧師として滞在していたのである。そして、毎年、年齢が加わるごとに登山は遠のいてしまったのである。
しかし、5月は楽しい思い出があり、いくつかの喜びの日があったりして、祝福の日々であったと思っている。そして迎えた6月は、これまた喜びの月なのである。6月は、私が教会に結びつく原点がある。このことは、今までも浪花節を語るかのように、繰り返しお話しをさせていただいている。今日も少し浪花節を語っておこう。日本の敗戦後、いろいろと混乱しつつも次第に建て直す時期である。敗戦後、母が体調を悪くして入院していた。ある日、その母を見知らぬ子供たちがお見舞いしてくれた。知らない子どもたちが病室を訪れたので、母は驚いたようである。花を贈られ、お見舞の言葉をいただく。それは6月の第二日曜日であり、教会では「子どもの日・花の日」の行事を行う。みんなで花を持ち寄り、神様のお恵みを感謝し、その花を、病院等を訪問して入院している人々に贈るのである。近くの教会の日曜学校の子供たちがお見舞してくれたのである。その後、母は退院する。ある日曜日、母はその頃小学校3年生であった私を連れて、母を見舞ってくれた教会の日曜学校に出席したのであった。花を贈られたお礼を述べ、これからはこの子が日曜学校に出席しますから、よろしくお願いしますと述べているのである。そのとき、私は何もわからぬままに、母に連れられて日曜学校に行ったのであるが、それからが大変なことになる。日曜日になると、母は私を日曜学校に送り出すのである。日曜日であり、友達と遊びたいのに、有無を言わせず、日曜学校に行かなければならなくなる。こうして、出席するようになり、自分でも日曜日になれば日曜学校に出席するようになったのである。3年生の途中からであったが、4年生、5年生、6年生では精勤賞をいただくことになる。
以上がわたしの浪花節であるが、6月はこの浪花節をしきりに発するようになる。こうして教会に結びついた私は、中学生になってから二人の姉が出席していた横浜の清水ヶ丘教会に出席するようになり、そこで信仰が導かれたのであった。この清水ヶ丘教会で洗礼を受け、伝道者になる決心をしたのもこの教会なのである。6月の「子どもの日・花の日」は私の人生の原点でもある。その6月を迎えている喜びを示されつつ歩んでいるのである。日々、浪花節を語りながら過ごそうかと…。



日曜学校に通うようになり、ハイキングも参加する。
二列目の左端。



中学生になってから清水ヶ丘教会に出席するようになる。
この頃は高校を卒業していた。



若い頃は山登りを楽しんでいた。



若い頃、母をモデルに絵を描く。