鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<169>

隠退牧師の徒然記(2013年7月20日〜)<169>
2013年8月9日「平和を祈るこの時に」


聖書の言葉
キリストはおいでになり、遠く離れているあなたがたにも、また、近くにいる人々にも、平和の福音を告げ知らせられました。
(エフェソの信徒への手紙2章17節)



 この二三日、一つのことで集中していた。それは古い手紙をパソコンに打ち込んでいたのである。古い手紙とは日本の戦争中にまで遡る。1945年、昭和20年の夏頃は国力も戦力も無くなっている日本が、必死に抵抗している頃である。その頃、国は小学生達を疎開させていた。縁故疎開を奨励するが、それができない場合は学童疎開として、集団で地方に子供達を疎開させていたのである。我が家では小学校6年生であった、私にとって三番目の姉・朝子と小学校3年生の兄・光政が学童疎開をすることになる。大道国民学校の我が家の周辺の子供たちは神奈川県松田に疎開したのであった。おそらく1945年の6月前後の頃かと思われる。疎開先の子供達に鈴木家の両親、そして一番上の美喜子、二番目の姉の清子達が励ましの手紙を送っており、それに対する手紙が保存されていたのである。その頃、私は翌年に小学校へ入学する年齢であったのである。そして、日本の敗戦とともに9月頃には家に帰ることができたが、三ヶ月間、親と離れた悲しみが伝わって来る。
 手紙は疎開した姉・朝子がもっていたのである。この手紙が私の目に留まったのは、姉が去る4月30日に亡くなり、6月16日に埋葬式が行われ、その後の会食の時、朝子のお連れ合いが、このような手紙が出てきたと言われて見せてくれたのである。姉が亡くなった時、私たち夫婦はマレーシア・クアラルンプール日本語キリスト者集会のボランティア牧師として赴いていた。そのため葬儀には列席できず、6月4日に帰国したので埋葬式には列席することができた。貴重な手紙を見せられ、後日その手紙類を拝借する。8月の第二日曜日にはお返しすることになっている。当初はこれらの手紙をコピーするつもりでいた。しかし、当時の紙質、あるいは書かれている文字等はかなり薄れており、コピーしても読めないのではないかと思う。そこでこれらの手紙をパソコンに打ち込む作業を始める。まさにこの二三日はパソコン作業に明け暮れたのである。前記したように紙質が悪く、文字も薄くなっており、判読するのに苦労する。さらに、当時の文章の書き方、小学校3年生の兄の文章等は、やはり子供の書き方であり、この判読も苦労したのである。パソコンにはそのままの文章を打ち込んでいる。一つ一つの文章を読みながら、親と離れ、家族と離れて過ごす姉と兄の心情が伝わり、涙をそそられる。二通ほど紹介しておく。

 

昭和20年7月5日、鈴木ハナ様
おかあさんげんきですか。ぼくもげんきです。みんなもげんきですか。毎日げんきでくらしています。もおお母さんがかいってからむらのしとがきゅうりお三んかいももってきてくれました。もうこちらではかぼちゃのはながさいています。あちらではどうですか。それからよるはかならずせんせいがおもしろいおはなしおしてくれます。おはなしがすんだらにっきおつけます。それからふとんおしいてねます。おからだをおたいせつに。さようなら。鈴木光政より。



昭和20年7月11日、鈴木政次郎様へ、隣組の一同様へ
隣組の皆様お元氣ですか。私たちも元氣で毎日を楽しくくらして居ます。もうこちらに来てから1月餘りにもたちました。すっかりここの土地になれました。清ちゃんや八千代ちゃんや健ちゃんや秋子ちゃん正ちゃんも大きくなったでせう。私たちは毎日勉強をして頑張っています。私たちは勝つために疎開をしました。お天氣のよい日には富士山や箱根が美しく見えます。私たちはどこへ行くにも山道を通って行きます。始めは、とても行くうちには、もうつかれましたが、このごろはもうすっかりなれてしまったので、もうなんでもありません。村の人たちはとても新切で野菜やまきをもって来てくれるのでこまりません。この間は7月7日には七夕様を作ってかざったりえんげいかいをしたり、ごちそうをしたりくれてとてもにぎやかでした。むらの子供たちも見に来ました。それでは皆様勝利の日まで頑張ります。ではお體を大切に。さやうなら。鈴木朝子より、光政より(連名になっているが、朝子が書いた手紙)



戦争を体験した当時の小学生、姉は79歳で亡くなる。次第に体験者が居なくなっていく。その悲しみ、苦しみは歴史に残して行かなければならないのである。姉が当時の手紙を大事に持っていたのは、歴史の証言を持ち続けたのであり、それを世に発信するのは私の役目であると示されている。



疎開して間もなく、小学校3年生の兄・光政が描いて送って来た。
戦争の最中、富士山の美しさに感動している。



光政が当時6歳の私に送って来た絵。
日本の飛行機が米英の飛行機を撃墜している。