鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記 <84>

 

隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜)<84>
2012年4月13日 「変わることのない生きた言葉」 

聖書の言葉
あなたがたは、真理を受け入れて、魂を清め、偽りのない兄弟愛を抱くようになったのですから、清い心で愛し合いなさい。あなたがたは、朽ちる種からではなく、朽ちない種から、すなわち、神の変わることのない生きた言葉によって新たに生まれたのです。こう言われているからです。「人は皆、草のようで、その華やかさはすべて、草の花のようだ。草は枯れ、花は散る。しかし、主の言葉は永遠に変わることがない」。これこそ、あなたがたに福音として告げ知らされた言葉なのです。
(ペトロの手紙<一>1章22-25節)
 
 我が家の庭には三本の桃の木が植えられており、今が盛りに桃の花が満開となっている。桃の花は梅の花が終わる頃に、つぼみが膨らみはじめ、桜の花が咲く前に開花するのである。桜前線の満開情報が伝えられているが、桜の開花を知らせてくれるのが桃の花なのである。我が家の桃の木は一本は白一色であるが、二本は源平桃である。赤と白い花が同じ木から咲いているのである。昨年、4月4日にスペイン・バルセロナに発つとき、桃の花はつぼみが膨らんでいる程度で開花していなかった。残念に思いながら家を後にしたのであった。留守中、源平桃の花を人々に示しながら、留守中でも人々に挨拶を送っていたのであろう。今年は、昨年の残念な思いを甦らせながら、日毎に開花していく桃の花を楽しんでいる。



4月4日撮影。源平桃の花のつぼみが膨らみはじめた頃、
昨年、この日にスペイン・バルセロナに赴いたのである。



 そもそも鈴木家に源平桃があるのは、父が丹精していたからである。昔、今は山の中腹から上に至るまで住宅が建ち並んでいるが、里山の長閑な風景であった。父はその里山の中腹を開墾して畑を作り、結構な収穫を得ていたのである。収穫の野菜、さつまいもやじゃがいも等、隣近所に差し上げては喜ばれていたのである。その畑の一角に見事な源平桃の木があり、この時期になるときれいな花を咲かせていたのであった。父はその源平桃の木から苗木を育て、知り合いに差し上げている。散歩に出かけると、源平桃の花が咲いている家があり、もしかしたら、この源平桃は父が差し上げたのかもしれないと思うのであった。父は鈴木家の寺にも差し上げており、今ではかなり大きな源平桃の木になっている。「鈴木さんのお父さんからいただいた源平桃がきれいに咲いています」と和尚さんがいつも言っていた。



4月8日撮影。まだ咲き始めたばかりである。




4月12日撮影。かなり開花している。



4月13日撮影。もはや満開の源平桃の花。


 父、鈴木政次郎が亡くなったのは1995年4月9日である。ちょうど源平桃の花が満開の頃である。その頃もまだ、山の上、中腹は里山そのものであり、源平桃が畑の一角で見事に咲き誇っていたのである。三番目の姉・朝子がその源平桃の花を持ってきて、父の前に供えていたことが忘れられない。その後、里山が次々に開拓され、今はどこもが住宅になっている。その源平桃の木も切り倒されて処分されてしまったのである。六浦の家も60年を経ていることもあり、建て直したのであるが、庭にある源平桃の若木は何としても残さなければならない。三本の桃の木は撤去しないよう、旧家を解体し、更地にする時、業者に言っておいたのである。
 桜にしても、梅にしても、そして桃にしても開花の時期は目を見張って楽しむことができるが、それは一ヶ月もしないことである。後は若葉となり、深緑となり、紅葉し、やがて落葉して行く。しかし、春になればまた芽を膨らませ、美しい花を咲かせる。時々、人々の注目を受け、喜ばれる。「草は枯れ、花は散る」と言われるが、再び華やぐ時があるのである。そして、それは繰り返されるのである。それを支えているのが木そのものである。葉も無く、花も無い木はじっとその時を待っているのである。「主の言葉は永遠に変わることがない」と言われているのは、永遠に変わることのない恵みをいただいているから、木は存在し続けるのである。「なんか、説教ぽくなってしまったなあ」。
 もうしばらくは庭に咲く源平桃の花を楽しむことにしよう。