鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記 <85>

 

隠退牧師の徒然記(2011年6月1日〜)<85>
2012年4月16日 「命の書に名を記される」
 

聖書の言葉
わたしはエボディアに勧め、またシンティケに勧めます。主において同じ思いを抱きなさい。なお、真実な協力者よ、あなたにもお願いします。この二人の婦人を支えてあげてください。二人は、命の書に名を記されているクレメンスや他の協力者たちと力を合わせて、福音のためにわたしと共に戦ってくれたのです。主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます。
(フィリピの信徒への手紙4章2-5節)


 
 昨日の15日は復活後第一主日であり、六浦谷間の集会も導かれて礼拝をささげた。いつものように連れ合いのスミさんと二人だけの礼拝であった。4月1日は棕櫚の主日であり、娘の羊子がスペインから帰国中であり、羊子に会うことでもあるが、知人を含めて10名の出席であった。そして、8日はイースター礼拝であり、子ども達が集まったので6名の出席であった。その4月1日の礼拝から、初めて礼拝出席簿に記名するようにしている。六浦谷間の集会を始めて第50回目の礼拝から記名するようになったということである。今まで記名簿に記名しなかったのは、連れ合いのスミさんと二人だけの礼拝であり、記名簿のことは全く考えていなかった。しかし、今までも知人の皆さんが出席されているので、今まで記名しなかったことが、何とも悔やまれるのである。六浦谷間の集会と言う、ここで心を込めて礼拝をささげているのであるから、その記録は残さなければならないのである。昨日の礼拝は二人だけの記名であるが、1日や8日の礼拝出席の記名を、貴い宝物のように、お名前を見つめるのであった。



礼拝出席記名簿に祈りつつ名を記す。




 礼拝に出席した人の記録は、各教会それぞれの取組みがある。記名簿を置いて、出席者が記名する教会、出席簿のように、あらかじめ名前が記されおり、出席した日にチェックする教会等がある。チェック方式は記名しないので、誰かが間違えてチェックしてしまうことがあるし、サインが残らないということである。やはり、「私は出席しました」との姿勢において記名した方が良いと思う。しかし、記名簿も出席簿も置かない教会もある。カトリック教会等は記名しないと思う。実際、昨年スペインに赴いてカトリック教会のミサに出席したが、記名簿なるものはなかった。誰もが自由にミサに参加できることであると思う。
 日本の多くのプロテスタント教会は記名簿または出席簿を置いている。大塚平安教会在任中も記名簿を用いていた。どなたが出席されたか、牧会上大切な記録であり、最近○○さんが出席されてないことなどが分かる。講壇に上がり、説教を語りながらも、出席者の皆さんを確認するのであるが、それが目的ではないので、どなたが出席されていたのか分からないこともある。礼拝が終わり、玄関で皆さんをお送りするのであるが、必ずしも玄関から出入りしていないのである。車で来られる方は幼稚園の庭に駐車し、幼稚園の玄関から入ると、教会への通路があり、そこから入るので教会の玄関の出入りはないのである。そうであると礼拝後、牧師が玄関に立っていても、言葉を交わさないままお帰りになってしまう場合もあるのである。それで、幼稚園の庭に車を駐車しても、教会の玄関から出入りするよう、呼びかけるのであるが、あまり効果がなかったようである。教会の玄関から入ると、まず礼拝の案内や「今週の聖句」等が掲げられているのを見る。玄関に入れば、色々なお知らせの掲示がある。教会の取組み等を知ることができるのである。幼稚園からの通路を通る人は、それらの取組みを見ないということである。何よりも、礼拝後の牧師との挨拶が望まれるのである。それにしても礼拝出席記名簿にお名前が記されているので、今日はあの方は出席されていたことを知るのである。その意味でも礼拝出席記名簿は牧会上大切な記録になるのである。
 その記名簿を処分する提案をした人がおられた。大塚平安教会50周年記念誌を発行するため資料管理委員会が発足し、今までの資料の整理を担当した。記念誌の発行が終わり、資料の整理をする中で、かなりの場所を占めるようになった礼拝出席記名簿は不要であると主張された人がいるのである。その委員会に出席していた他の委員が、牧師にその意見を伝えに来たのである。牧師は資料管理委員会には参加してなかったので、委員会の時には園長室で執務していた。知らせに来た委員も、礼拝出席記名簿を処分することには反対であったのである。それで、牧師も委員会に陪席し意見を述べたのであった。礼拝出席記名簿は、祈りつつ礼拝に出席した大切な記録であること、神様に対しての応答であること、礼拝を共にささげた人々の歴史であること等を述べたのであった。ほとんどの委員は処分に反対であったので、大塚平安教会の大切な歴史として、資料として保存されているのである。
 その礼拝出席記名簿に、礼拝に出席しても記名しない人がおられた。その頃、教会役員の選任方法が協議されており、役員に選ばれる人は、少なくとも一年の半分以上は礼拝に出席している人とするということになった。記名しない人は、役員になりたくなかったのである。そのような問題もあり、そのような選任方法は取りやめ、出席に関わり無く被選挙権があるとした。実際、今まであまり礼拝に出席しなかった人が、役員に選任されるや、毎週出席されるようになり、役員の務めを一生懸命に担った人がおられる。
 礼拝出席記名簿にまつわることについて思い出したが、その姿勢は今も変わらない。六浦谷間の集会も礼拝出席記名簿に記名することになった。ここに記名することは、祈りと涙と応答なのである。そして、貴重な宝物なのである。礼拝出席記名簿に名前を記し続けることは、「命の書」にも記されることになるのである。



源平桃の花、その後。4月15日撮影。もはや葉も見えている。