鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

巨大地震(2)( 主の言葉は滅びることなく )

 
 東日本巨大地震の爪あとは、被害がますます広がっています。悲しい報道が次々に入ってきます。このブログで報告するのは、報道機関で知らされているので、その必要はないのですが、このブログに記しておくことで、後の世に残すためでもあります。また、このブログを外国に住んでいる方も読んでおられるので、報道をお知らせしておきたいのです。昨日の日記として、12日の読売新聞の朝刊の記事を掲載しておきましたが、今日は12日の夕刊の記事を掲載しておきます。「11日午後に発生した三陸沖を震源とする国内観測史上最大の東日本巨大地震で、警視庁の12日午前10時現在のまとめによると、死者は287人、行方不明者725人、負傷者1046人となり、避難住民は21万人に上った。仙台市内では200〜300人の遺体が見つかっており、死者・行方不明者は1200人以上に及ぶ。余震も同日午前10時現在、100回以上起きている。また、東京電力福島第一原子力発電所1号機の原子炉建屋外で、通常の70倍に上る放射線量が確認され、政府は周辺の住民に避難を指示した。岩手、宮城県内では、一部地域が津波などで壊滅状態に陥り、大規模な火災も各地で発生している。自衛隊海上保安庁などが救援活動を本格的に開始した。」これは夕刊の報道であり、午前10時頃までの報道です。12日午後3時半頃、福島第一原発1号機で爆発が起きました。原因は不明の段階です。
 報道で示されている状況を見るにつけ胸が締め付けられる思いです。政府は当初、救援隊として自衛隊2万人派遣しましたが5万人にして派遣することになりました。まだ取り残されている人々がいるのです。二度目の夜を不安と悲しみを持って迎えている皆さんに、神様のお導きが豊かにありますようお祈りしています。
 昨日の午後2時40分頃に散歩に出かけて、間もなく地震に遭いましたが、今日も同じような時間に出かけました。ガソリンスタンドは車が給油で並んでいました。あるスタンドはレギュラーガソリンは売り切れで、ハイオクのみの給油としていました。災害に備えて給油しておく車が多いのです。昨日の夕刻は、スーパー等は混み合ったということです。食料、ローソク、懐中電灯に殺到したということでした。宮城県陸前古川教会で牧会している頃、宮城県沖地震に遭いました。このことは以前にも記していますが、改めて記しておきましょう。宮城県沖地震が起きたとき、少し前にも地震がありました。連れ合いのスミさんが子供たちを心配して探し、上の二人はすぐに確認しましたが、三番目の子供がいないのです。心配してあちらこちら捜しました。本人は教会の隣のおもちゃ屋さんの店の中にいたのでした。母親にひどく叱られて、書斎にいる私のもとへ泣きながらやってきました。しばらく泣いていましたが、やがて寝入ってしまいました。間もなくのことです。ガタガタと縦揺れがありました。これは危ないと、すぐに子供を抱き上げ、書斎は二階でしたので階段を目指しました。階段は蛇のように横揺れにくねっていました。ようやく外に脱出できたのです。地震後に書斎に行って見ると、子どもが寝ていた所は大きな書棚が倒れていました。あのまま寝ていたら大変なことになっていたのです。それからが大変でした。ライフラインがストップしてしまい、早速食べるものを買いに行ったのです。大勢の人が店に殺到していました。必要なものに手を伸ばして取ろうとすると、横からさっと持って行ってしまうのでした。パニック状態でした。地震に備えて、必需品の整理が必要でありましょう。3月4日に火災保険の更新があり、今まで地震保険には入っていませんでしたので、この際加入しておきました。このとき加入しておいて良かったと思います。この地震で多くの人が地震保険に加入しようとするでしょうが、保険屋さんが言うには、このような状況になると加入ができなくなるということでした。
 被災された皆さんをお祈りしつつ、今日の日が終わろうとしています。
<聖書の言葉>
これらのことがみな起こるまでは、この時代は決して滅びない。天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない。
(マルコによる福音書13章30節、31節)