鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

巨大地震(3)( 私の叫びが届きますように )

 
 東北・関東大震災は大きな災害をもたらし、今、日本中が救援に立ちあがっています。読売新聞が地震被害状況を警察庁のまとめとして報じていました。これは13日午前10時現在です。死者763人、行方不明639人、負傷者1419人となっています。しかし、この数字は身元が確認された数字であり、数万人の安否が確認されていません。死者も10000人を超えるだろうということです。テレビでは大津波が町になだれ込んでくる恐ろしい状況を繰り返し報道しています。町ごと壊滅し、茫然と見つめている人々を見るにつけ胸が痛みます。地震により原発建屋が爆発し、原発の運転がストップされました。この地震国日本では原発はもっとも危険な存在であり、これを機に考えなければなりません。
 1980年代に浪江伝道所に応援伝道に行きました。大塚平安教会出身の牧師が浪江伝道所の牧師に就任したからです。建て物のペンキがはがれ、敷地内は草ぼうぼう、十字架塔も錆びているということで、まずワークキャラバンを組織し、6名で赴きました。そして、翌年には聖歌・ワークキャラバンとして再び訪れました。聖歌による伝道集会を浪江伝道所、鹿島栄光教会、小高伝道所、中村教会、原町教会等で開催したのでした。その時、福島原発の不気味な存在を遠くに見ながら移動したのでした。数年後に大塚平安教会の聖歌隊が相馬地区を訪問しています。これらの町々も被災しているようですが、連絡が取れないのです。牧会していた陸前古川教会や教会員の皆さんにも電話で連絡しようとしていますが不通となっています。今は祈りつつ復旧を待つばかりです。
 今日は日曜日、神様を礼拝する日です。全国諸教会は東北・関東大震災で亡くなった方々、被災された皆さん、行方不明の皆さんを覚えつつ礼拝をささげたことと思います。六浦谷間の集会も、今日は連れ合いのスミさんと二人だけの礼拝をささげました。今日は前任の幼稚園教職員の方が数人来られる予定でしたが、大地震が起きたばかりであり、取りやめになりました。六浦谷間の集会でも災害に遭われた皆さんを覚えてお祈りをささげたのであります。礼拝は1時間を要しますが、いつもは終わると洋服を着替えたりしますが、今日は礼拝が終わってもそのまま座っており、讃美歌をうたいました。讃美歌はお祈りでありますから、被災された皆さんを心に示されながら讃美歌を歌い続けたのです。30分くらい歌い続けていました。
 讃美歌を歌うということ、つらつら思うに無任所教師になってからは、日曜日の礼拝以外は讃美歌を歌わなくなっていることを知りました。大塚平安教会で牧会しているときは、毎日讃美歌を歌っていました。月曜日から水曜日までは、特に予定がなければ幼稚園の教職員礼拝です。「こどもさんびか」を歌い、聖書を輪読し、お祈りをささげていました。水曜日は婦人会の「聖書を読む会」が月に一度開かれます。また、幼稚園のお母さん達の「聖書に親しむ会」が月に一度開かれます。開催日を異にしていますが、その日のうちに幼稚園の会、その後は婦人会と重なる日があります。水曜日の夜は祈祷会・聖書研究会です。一日に何回も讃美歌を歌っていたのです。そして、木曜日は綾瀬ホーム職員の礼拝があり、続いて利用者の礼拝がありました。そして、その後は家庭集会です。金曜日はさがみ野ホームの教職員と利用者の合同礼拝です。そして、急いで帰ってきて幼稚園の全園児合同礼拝に臨みます。ほとんど毎日讃美歌を歌っていたのですが、無任所教師になってから、賛美の生活が無くなってしまい、反省することしきりであります。集会が無くても讃美歌は声を出し、高らかに歌うことが大切なのであります。被災された皆さんに届かんばかりの声で歌うことです。
 被災された皆さんの中にもクリスチャンの方がおられるでしょう。神様のお導き、お支えを信じて歩まれますよう。このどん底の中に主が共におられるのです。
<聖書の言葉>
主よ、わたしの叫びが御前に届きますように。御言葉をあるがままに理解させてください。私の嘆願が御前に達しますように。仰せのとおりにわたしを助け出してください。
詩編119編169節170節>