鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

二人が心を一つにし(水曜集会)

9月となり、8月中はお休みにしていた水曜集会を再開しました。水曜集会は聖書の学びとお祈りの集いです。昔は「聖書研究・祈祷会」と称していましたが、どうも堅苦しい集会のような印象です。そこで、その集会が水曜日に開かれるので「水曜集会」としました。教会は日曜日の主日礼拝と水曜日の祈祷会が主たる集会となっています。週の半ばに祈りをあわせることは教会の基本的な歩みでもあるのです。そのため、どこの教会もこの基本的な取り組みを持っています。しかし、今日の状況の中でいろいろな取り組みが生まれてきます。何よりも水曜日、または木曜日の教会もありますが、夜の集会であり、大体は午後7時からか、または7時30分からの開会であり、出席できない状況でもあります。その時間は勤務中であり、帰宅途中であったりします。また、家族の夕食のときでもあり、小さい子どもがいる家庭では外出するわけにはいきません。昔も同じであったと思いますが、どうして水曜日の夜にこのような集会が設定されたのでしょう。従って、出席者が少ないので、昼間の時間帯で行なう教会もあります。そうなると勤めている人は出席できません。週日は昼にしても夜にしても皆さんが出席しにくいということで開催せず、日曜日の礼拝が終わってから祈祷会を開く教会もあるのでした。
いろいろな取り組みが考えられますが、当教会は水曜日の夜に固執しています。出席できない人は、それぞれの状況の中で祈りに導かれることを祈りつつ、夜の集会を開くのでした。
9月になって再開されましたが、今日は8名の皆さんが出席され、お祈りを共にしたのでした。出席できない人が多い中で、やはり一人でも多い集会は牧師にとって励みとなるのです。しかし、出席者が少なければ、その状況を受け止めてもいるのです。青山教会、陸前古川教会、そして大塚平安教会の歩みの中で、以下のようなこともあったことを記しておきます。以前、「牧会メモ」や教団新報にも記しました。

「お客さん、来ないねえ」
毎週水曜日は聖書研究・祈祷会が開かれる。夜7時半からであり、この時間に出席するのは困難な方が多い。おのずと出席者が少ない。開会5分前、連れ合いと共に開会を待っている。この時点ではまだ出席者がなかった。もしかしたら、どなたも来られないかな、ふとそんな思いがよぎる。
昔、地方の教会で牧会していたころ、やはり水曜日の集会が続けられていた。冬ともなると寒さがこたえる地方であり、いつもは四、五名の出席であるが、寒さの厳しいときは牧師夫婦二人の集会のことがある。夫婦で集会を開くとき、困るのはどのような話し言葉を使うかである。丁寧な言葉でもなく、普通の言葉でもない。気を使いながらの集会が終わるころ、決まって末の子がチョコチョコとやってくる。両親だけの集会をじっと見つめ、「今日は、お客さん、来ないねえ」と言うのであった。子どもなりに出席者を期待しているのである。「今日は寒いし、御用のある方もあるからね」と言い訳を言う。
宣教方策会議が3月6〜7日に開催された。主題「21世紀を迎えた教会の現状と展望」のもとに、発題があり協議が重ねられた。統計的に減少を続ける日本基督教団であるが、各教会は祈りつつ宣教している。希望をもって明日の教会を担うことを示された。
開会時間となった。その時、玄関の扉が開く音がした。思わず二人は顔を見合す。互いの顔に安堵を読み取っているかのように。

日曜日に礼拝をささげ、週の半ばにお祈りをする。教会の基本的な歩みが導かれていること
を感謝しています。祈りは力であり、希望への前進であるのです。
聖書の言葉
「あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。」(マタイによる福音書18章19節)