鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

イエス様の証しは書ききれず(アクセス元検証)

この日記を読んでくださる皆さんへ。こんばんは。今は皆さんの国は夜なのでしょうか、昼間なのでしょうか。いずれにしても遠い国で、私の日記を読んでくださりありがとうございます。ブログのシステムとしてアクセスされた方の国別が表示されます。もちろんそれ以上のことはわかりません。どなたが読んで下さっているかは分かりません。このブログを開設したときは、ごく身近な皆さんが読んでくださるという思いで書き始めました。今日まで書き進めたとき、一応アクセスされる皆さんを検証してみました。国内はもちろんですが、東京、横浜、川崎、大阪、名古屋、浦和、藤沢、仙台、神戸等の表示がありました。そして、驚いたことにいろいろな国で読まれていることを知ったのです。スペインには娘の羊子がいますが、彼女一人ではなく、バルセロナ在住の日本人の皆さんも読んで下さっているようです。国別を拾い上げてみますと、中国、台湾、アメリカ、イスラエルハンガリー、モンゴリア、ドイツ等の国々です。遠いところや海外でこの日記を読んでくださる皆さんには心から御礼を申し上げます。もちろん教会や幼稚園に関係する皆さんも読んでくださり、感謝申し上げます。
6月にこのプログを書き始めました。そのいきさつについては既に記しています。4月の時点で開設されていたのですが、忙しさを理由に書くことはありませんでした。書かない理由は忙しさが理由でしたが、もう一つは、自分でも分かっていたこと、おそらく書き始めればはまってしまうということでした。案の定、私は毎日、思いつくままに記しています。
最初の教会、東京の青山教会時代は副牧師でしたので、主体的なことは書くことができませんでした。次の宮城の教会では主任牧師になりましたので、週報に「牧会日誌」ということで、日々の出来事を記していました。昔は謄写印刷でしたから、夜遅くまで鉄筆で記していました。その後、大塚平安教会に赴任してからは「牧会メモ」として記していました。そのメモは昨年の秋からぱったりと記さなくなりました。メモは週報の第四面に記していました。数年前に週報の様式を変えることになり、第四面にメモを記すことができなくなりました。それで、週報に挟み込みで「牧会メモ」とテレフォンメッセージの「今週の聖句」を記していたのです。しかし、挟み込みは週報を整理する都合上、とても扱いにくいのでした。それで決心をしました。昨年の秋から執筆活動が停止されたのです。毎週、何らかのことを書いていたのですが、書かなくなると気が抜けたようになりました。それでも書かないことに慣れてきたわけです。そしたら、今年の春頃になって、牧師・園長のブログを書くようにとの進言があったのです。気が進まないことを述べていましたが、前記しましたように4月になって開設され、あとは記して載せるばかりになっていたのです。
忘れられない言葉があります。宮城の教会に勤めていた頃、隣の教会は車でも汽車でも一時間は要する鳴子教会でした。婦人牧師であり、お連れ合いは目が見えませんが付設保育園の園長をされている高橋万三郎さんでした。この方は童謡詩人でもありました。宮城にいる間、親しくさせていただきました。ある日、私の牧する陸前古川教会に何かの会合で来られました。早速、教会の週報を婦人牧師が万三郎さんに読んであげていました。たまたま、その週報には、私が鳴子で過ごしたことを記していました。その頃、保育園園長・童謡詩人の目の見えない万三郎さんの半生を記していたのです。取材のため鳴子温泉の宿に泊まり、そして町並みを歩いたりしていました。そのあたりのことを牧会日誌に記しました。「週報にそのようなことまで書いてあるの?」と言われた言葉です。週報は礼拝順序、集会案内、報告、消息等を記すものですが、牧師の個人的手記まで掲載する週報はないのです。週報への親しみ、牧師の生き様を報告する意味でも続けていたということです。時代を書き留める姿勢は今も変わりません。
聖書の言葉
「イエスのなさったことは、このほかにも、まだたくさんある。わたしは思う。その一つ一つを書くならば、世界もその書かれた書物を収めきれないであろう。」(ヨハネによる福音書21章25節)