鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

地の果てまでも(園バス始末記)

幼稚園は今日から第二学期の始業です。暑かった夏も終わりました。もはや秋です。朝晩は涼しい風が吹くようになり、一日の始まりに力が入ってくるようです。朝の登園時間には極力門に立つようにしています。登園してくる子ども達、また保護者の皆さんと挨拶をしています。門に立っていると順次迎えのバスが入ってきます。今はバスと言ってもワゴン車にしています。園児にして12人乗りと18人乗りです。今年の5月まではマイクロバスと12人乗りのワゴン車で送迎していました。しかし、マイクロバスには満席になるほど乗車しないことと、細い道は走れないことのために、マイクロバスはあきらめ、18人乗りのワゴン車にしました。細い道でも通れるし、機敏性があってよろしいわけです。今は効率よく送迎ができているようです。
マイクロバスとお別れするとき、長年使用してきたのでなんとも寂しい思いをしました。そんな気持ちがあって、いよいよバスが運ばれるときにはバスと共に記念写真を写してもらいました。マイクロバスに思いを寄せるのは、以前は購入に当たり陸運局まで申請に行かなければなりませんでした。税金を免除してもらうためです。営業マンの車に乗せられて陸運局にいき、このマイクロバスが確かに幼稚園の園児送迎用に使用することを口頭で申告するのです。こうして新車を購入した経緯があり、バスへの執着は意外と強いのでした。従って、マイクロバスからワゴン車へ切り替える提案を職員から受けても、当初はなかなか同意しませんでした。
当園にとって4代目のバスであったと思います。以前は園長も若かったので、運転手が都合が悪いときには園長自身が運転をしました。むしろ、バスの運転は楽しみでした。運転をしながら子ども達と楽しくお話ができるからです。昔は、お泊り保育は伊豆の天城山荘まで行きました。その時代、男の先生がおり、送迎バス運転と教諭兼で勤めてもらっていました。お泊り保育は、一台はレンタカー、そして園バスの二台で出かけました。そのときは彼と私がマイクロバスを運転して出かけたのです。保護者の皆さんは園長が運転するなんて心配したかもしれません。私のマイクロバス運転暦は結構経験をもっているのです。大塚平安教会牧師とドレーパー記念幼稚園園長に就任する前の7年間は宮城県の教会と幼稚園に勤めていました。そこでは教会の牧師であり、園長は教会の信徒が任を持っていました。しかし、宗教法人立幼稚園ですから、設置者は教会であり、牧師がその責任を持っていました。従って、園長でないからといって、幼稚園の職務をしないわけにはいかないのでした。そして、幼稚園は園児を広く集めるためにもマイクロバス導入を決めたのです。誰が運転するのか。結局、牧師が運転することになりました。教会は小規模であり、そんなに働きがないというわけです。そのため教習所に通い、大型自動車の免許を取得しました。毎日、園バスを運転すること3年、ところが腰を痛めるようになり、専任の運転手を採用するようになったのでした。その園バスを借用して、夏休みには宮城から横浜市金沢区の実家に帰省したこともありました。ドレーパー記念幼稚園に赴任してからは、毎日の送迎はしなくなりましたが、それでも臨時に運転をしたり、大塚平安教会の教会学校の夏期学校等には運転していたのです。
もう3年以上はマイクロバスを運転していません。やはり運転していないと気後れがでるものです。運転手が都合が悪い場合には、園長自らが運転するのではなく、派遣会社に依頼するようになりました。幼稚園によっては保育の女性の先生がワゴン車を運転している姿を見かけます。経営的にはよろしいのかも知れません。しかし、子ども達の送迎を行い、その上で保育を行なうのは無理があると思います。そのため、提案があっても、園長としてはそのような取り組みはしないつもりです。二台の送迎車を保有しているので、ご希望があれば地の果てまで送迎します、なんて言っていますが、現実には困難です。しかし、当園に入りたいのに通園できない皆さんには、できるだけお応えしたいと思っています。
聖書の言葉
「あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。地の果てに至るまで、わたしの証人となる。」(使徒言行録1章8節)