鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

神の家族として(沖縄の教会を覚えつつ)

子どもの教会は9月の第一日曜日は「振起日礼拝」としています。いよいよ第二学期が始まり、夏の間はなんとなく気を緩めていたので、新たなる思いで歩みましょうと励ますのです。8月中は子どもの教会は礼拝のみで、その後行なわれる分級はお休みにしていました。9月から復活します。子どもの教会を通して健やかな成長が導かれることを願っています。
大人の教会は、毎年9月の第一日曜日は「沖縄の教会を覚えての礼拝」でした。沖縄の教会を祈りつつ神様に礼拝をささげるのです。ささげられた席上献金は沖縄の教会へ送ることになっています。特に比較的小規模の教会へささげるようにしています。お手紙を記して献金をお送りするのですが、当教会がどうして9月の第一日曜日に沖縄の教会を覚えるのか、理解されない教会もあります。実際、当教会は久しい前からこの日を定めています。日本の戦争末期に沖縄戦があり、悲しい結末をもたらしたのは6月でした。従って、6月の礼拝で沖縄の教会を覚えることには意義があるでしょう。また、日本の敗戦記念日でもある8月15日に近い礼拝で覚えることも意義があるのです。しかし、何故か9月の第一日曜日にしています。あまり根拠がないにしても、一年に一度ですが沖縄の教会を覚えてお祈りすることは大切なことでもあるのです。
日本基督教団は沖縄に関しては久しく論議しているところです。現在、沖縄は日本基督教団の中で沖縄教区としての位置づけがあります。日本が戦争に負けたとき、沖縄を切り離しました。沖縄はアメリカの統治下になったのです。その後、沖縄は日本に返還されますが、その前に日本基督教団と沖縄キリスト教団が合同したのでした。日本が沖縄を切り離したとき、沖縄は沖縄キリスト教団を結成しました。沖縄が返還されることになったとき、沖縄にある教会は再び日本基督教団に復帰する喜びを持ちました。しかし、実際には沖縄キリスト教団になっていますから、復帰すると言うことでは日本基督教団が沖縄キリスト教団を吸収してしまうことになるわけです。それでは良くないということで、「合同」としました。すなわち日本基督教団と沖縄キリスト教団が合同したということです。ところが合同したものの、沖縄の教会は沖縄教区の位置づけになりました。このような合同に対して、後に疑義が出されました。合同であるのに吸収ではないかと指摘します。一方、本質は復帰なのだからこれでよいと言う意見です。そこで、「日本基督教団と沖縄キリスト教団の合同のとらえなおし」論議が始まりました。この論議はもう30年も続いています。二つの存在が合同したのだから、名称を検討することが決められており、そのため沖縄教区は名称変更議案を提出しました。その提案を巡って6年間論議しましたが、ついに総会では時間切れとなり廃案となりました。それに対して、沖縄教区は日本基督教団に対し、「しばらく距離を置く」という姿勢を持つようになりました。そのため日本基督教団の諸会議には欠席し、委員会の委員も派遣しませんでした。今年の5月に沖縄教区は新しい教区議長を始めとする三役を選びました。7月に開催された日本基督教団の常議員会に新議長が出席したのです。新しい方向が見えてきました。
私はここで日本基督教団における沖縄関連の見解を表明しようとするのではありません。当教会における沖縄教会への祈りを記しているのであります。昨年5月に沖縄に転居されたご夫婦のお証しが私たち祈りを深めているのです。お連れ合いには沖縄の出身であり、9月第一日曜日には証をされています。あの戦争の末期、死体を乗り越えながら生き延びた証しを涙ながらにされたこと、私たちは心に深く受け止めています。戦争の悲しみの中から再建した沖縄の教会であるのです。本土の住民として沖縄を犠牲にして生き延びている現実があります。私たちは沖縄の皆さんの苦しみの歴史を共に担いたいと願っているのです。議論ではない現実として沖縄の教会を覚えたいのです。
聖書の言葉
「あなたがたはもはや、外国人でも寄留者でもなく、聖なる民に属する者、神の家族です。」(エフェソの信徒への手紙2章19節)