鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

神の武具を身につけなさい(不審者への対応)

昨日は自然災害に対する備えを示されました。防災の日を迎え、日ごろの備えが必要であることは、重々わかっているのですが、いろいろな要素が重なり備えが進まないこともあります。一つは災害時に対する生活用品の格納庫です。小さな物置を設置するにしても、場所的に検討課題でもあるのです。ところで、自然災害と共に不審者進入に対する備えも必要なことであります。学校等に不審者が侵入し、痛ましい事件がおきたことは、深い教訓となっています。行政も繰り返し備えを持つことの指導をしています。不審者進入に対する対応のマニュアル作り、また備えの備品等です。決して他所事ではなく、非常事態を想定しなければなりません。注文していた物が届きました。不審者に対応するための防護盾と刺股です。防護盾はアルミでできていますので、比較的軽く、女性の先生たちも扱いやすいでしょう。また、刺股は棒の先にU字形の金具がついているもので、これで不審者の体を押さえ込むというものです。他にも防犯スプレーや逃げる不審者に投げつけるカラーボールなども用意しました。しかし、これらのものを持ちながら、実際に不審者が侵入したときに、これらの応戦器具を使って渡り合えるかが課題です。何よりも子ども達を守らなければなりません。そして、不審者に対する恐れなどがあり、応戦は困難であるかもしれません。そのために、警察との連携装置も導入を進めています。不審者が侵入したら、ボタン一つで連絡できるのです。警察が来るまで、不審者をとどめておくために説得したり、場合によっては防具を持ち出したりするわけです。幼稚園の教職員が一丸となって対応することになっているのです。
子ども達の受け渡しについても注意しています。いつもは家族の方に送り迎えをしていただいております。従って、教職員はご家族の皆さんについては心得ているのです。ある日のこと、一人の園児の迎えに見知らぬ人が来ました。担当の先生も面識がなく、すぐに園長に知らせに来ました。迎えに来た男性は母親から頼まれたと言っております。念の為、家に電話しましたが応対がありません。信用できないからお子さんを渡せないと言うわけにはいきません。それで園長が一緒について行ったのでした。家に着くとお母さんがいるではありませんか。お母さんは体調が悪くて伏せておられ、お知り合いに依頼されたと言うのでした。それならそれとご連絡くださればよかったのにと言い、不審者扱いで疑ったことをお詫びしたのでした。お迎えには小学生のお兄ちゃんやお姉ちゃんが来ることがあります。卒業生であり顔見知りでもあるのですが、今の世の中、やはり保護者が送迎していただきたいと思っています。
不審者進入に対する備えはこの数年前からでした。むしろその前は夜の泥棒問題でありました。幼稚園に泥棒で入っても、あまり得るものがないと思っていましたが入られました。戸締りはしてありますが、ちゃんと進入してきます。教職員室に入り、机の引き出しはすべて開けられていました。開けたままで閉めないのですね。下の引き出しから開け、閉める時間を節約するのでしょう。教職員が現金等を引き出しに入れておくはずがありません。金庫もありますが、現金は入れておきませんし、通帳や印鑑は別々に保管しています。実際に泥棒に入られたのですから、進入防止装置をつけました。教職員が帰った後でスイッチを入れておきます。教職員室に近づくとセンサーが作動し、ベルがなり牧師・園長宅の電話に通報することになっています。ところが、うっかりして解除ボタンを押さないで園舎に入ってしまったことがあるのです。足を一歩踏み込んだ瞬間に激しくベルが鳴り響きました。二度、三度と同じ失敗をしています。とにかくいろいろな防犯設備をしていますが、日ごろの訓練、備えが必要であると思っています。聖書も武具で身を固め、悪魔の策略に対抗しなさいと教えています。
聖書の言葉
「邪悪な日によく抵抗し、すべてを成し遂げて、しっかり立つことができるように、神の武具を身につけなさい。真理を帯として腰に締め、正義を胸当てとして着け、平和の福音を告げる準備を履物としなさい。信仰を盾として取りなさい。それによって、悪い者の放つ火の矢をことごとく消すことができるのです。」(エフェソの信徒への手紙6章13節以下)