鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

イエスと共に復活に預かり(召天者記念礼拝・墓前礼拝 )

11月の第一日曜日は、教会では召天者記念礼拝です。信仰の人生を歩んだ皆さんの写真を礼拝堂に飾り、改めて召天された皆さんの証を示され、今を生きる私たちの励ましとするのです。私が赴任した頃、1979年頃は5名の皆さんの写真を飾る程度でした。しかし、今は35名の皆さんの写真を飾るのです。写真立てはその都度、木材を組んで写真を掲げていましたが、昨年沖縄に転居された渡辺魁さんが鉄骨の写真立てを作ってくれました。伸縮自在であり、写真が増えれば写真立てを伸ばすことも出来るので、とてもよいものです。しかし、その写真立ても今では35名の皆さんの写真を飾るので間に合わなくなっています。そのため、写真を少しずつ重ねて飾るのです。伸縮自在といいつつも、今は最大限に伸ばしており、これ以上写真が飾れなくなっています。次の対策を考えています。いっそのこと写真を冊子にして配布することの案が出ています。召天者名簿はその都度配布していますが、それで良いのではないかとの意見もあります。しかし、やはり写真の面影を見ながら天におられる皆さんを心にいただくことは大切なことであると思います。今後の課題といたしましょう。
さて、召天者記念礼拝が終わると、午後からは墓前礼拝です。この日は「シオンの集い」が「そば・うどん」を用意してくれたので、それぞれいただきながらお交わりを持ち、その後12時40分頃には車に分乗して厚木霊園教会墓地に向かいました。車で30分位の距離です。いつも予定の午後1時30分開会が遅くなるので、今年は早めに出発しました。そのため予定通りの時間ではじめることが出来ました。この厚木霊園にある教会墓地は納骨堂でもあります。向かって左側の造りは納骨堂でありますが、右側は土に返す造りとなっています。二つの堂が向き合って造られているのです。
私が赴任した頃は、教会墓地は川崎の春秋苑の中にありました。教会から車で1時間かかります。春秋苑に永代使用権をもちながらも、墓地の形はなく、分譲のままでした。それでも4名の皆さんを埋葬していたのです。墓参には時間がかかるし、三角地帯で墓地を作るにはかなり工夫が必要でした。それで新しい教会墓地を建設することになりました。その頃、厚木霊園が墓地を開発しましたので、そこに使用権を取得し、教会墓地を建設したのでした。丹沢の麓にあり、とてもよい場所だと思っています。共通道路に面しているので、墓参や埋葬式にしても、皆さんが墓前にたたずむには適当な空間があるのです。春秋苑の墓地を放棄したとき、その手続きに春秋苑の事務所を訪れました。使用権を返すときは何の保障もありません。かなりの使用権取得料を支払ったと思いますが、お金が返ってくるわけではありません。春秋苑としては得をするわけです。帰るときには駅まで丁重に送ってくれたのでした。
厚木霊園教会墓地は1982年に完成しました。献堂式と共に春秋苑に埋葬されていた4名の皆さんの亡骸を改葬したのでした。墓誌は、今では二基立てていますが、二基目も残る3、4名しかお名前を書くことができません。左右に墓誌を置いていますが、三基目はどこに置きましょう。墓誌の裏が空いているので、そこに記したらどうか、との意見もあります。そうなるといちいち裏まで回って見なければなりません。やはり、墓前にたたずみ、一目で埋葬されている皆さんのお名前を知る必要があるでしょう。
こうして一年に一度、墓前礼拝をします。いつもお会いするのは川崎教会の山鹿牧師夫妻と教会の皆さんです。今年もお会いしました。山鹿牧師夫妻は来年3月で退任されるので、今回、墓地でお会いすることは最後になります。寂しい思いです。今年は厚木上教会の柴牧師と教会の皆さんにお会いしました。埋葬式をされたと言うことでした。
教会は召天者記念礼拝をささげ、墓前礼拝をささげていますが、毎年召天された皆さんは覚えられ、証しが皆さんに示されるのです。人生の意味を示されるのではないでしょうか。
聖書の言葉
「イエスが死んで復活されたと、わたしたちは信じています。神は同じように、イエスを信じて眠りについた人たちをも、イエスと一緒に導き出してくださいます。」(テサロニケの信徒への手紙<一>4章)