鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

寄留の民を愛しなさい(交流会の世話役として )

今日は神奈川教区の宣教方策会議が午後から開催されましたが、私は欠席しました。前週は教団の常議員会、教団総会が開催され、4日間も留守にしたので、仕事が山積みになってしまいました。来週の7日に幼稚園の県の検査があり、いろいろと書類の整理をする必要があるのです。そのため教区の会議は欠席してしまいました。
宣教方策会議は、私は「神奈川県下にある在日大韓基督教会と神奈川教区との交流会」の世話役をしているので、出席する義務がありました。宣教方策会議は教区三役、常置委員、各部各委員会の責任者が出席し、教区形成基本方針また方策に基づいて神奈川教区の宣教を協議し、あわせて予算について協議するのです。
ところで、在日大韓基督教会との交流会ですが、今年は開催できませんでした。毎年開催しており、第5回まで開催しましたが、今年の開催は諸事情で開催出来ませんでした。交流会の歴史的経緯を記しておきましょう。1998年10月に、第一回在日大韓基督教会と日本基督教団との宣教協議会が箱根で開催されました。その時、私は神奈川教区の議長であり、各教区から代表が出るということでしたので私が出席したのです。在日大韓基督教会と日本基督教団1984年に協約を締結しており、様々な分野で宣教協力をしております。そのときから時を経ましたので、協約関係の実質化と深化を求めるために、第一回宣教協議会が開催されたのでした。この会に出席し、学習と課題が示されたとき、神奈川教区における両教会の交流がまことに希薄であることを痛感させられました。まったく交流がなかったというのではありません。神奈川教区内の横浜地区では毎年合同礼拝をささげています。また、東湘南地区では在日大韓基督教会横須賀教会との交流が行われています。神奈川教区全体においては1994年に協約10周年ということで、両教会が合同礼拝をささげています。しかし、1998年の段階では両教会の交流がありません。そこで、出席していた在日大韓基督教会川崎教会の牧師と相談し、神奈川における交流会開催の方向で話し合うことになったのです。その年の12月末に相談会を開催しました。その会合を基として交流会開催準備委員会が組織されました。準備委員会が始まったとき、神奈川教区側の準備委員としても在日大韓基督教会に関して学ぶ必要があり、2,年間にわたり学習をしました。そして、ついに2000年7月に神奈川県下にある在日大韓基督教会と神奈川教区の交流会が清水ヶ丘教会で開催されたのでした。第2回と第3回は一泊で開催されました。第4回と第5回は、第1回開催の清水ヶ丘教会で開催されました。
在日韓国の皆さんと交流を持ち、私たちが知ることがない苦労、悩みを持ちつつ過ごされていることを改めて示され、理解を深めるのでした。交流会は約100名の皆さんが出席します。そのうち在日大韓基督教会側は15〜20名、神奈川教区側は70〜80名の皆さんが集います。神奈川教区は107の教会・伝道所があり、在日大韓基督教会は3教会です。比率からすれば神奈川教区側はもっと大勢の皆さんが出席しなければならないのです。教会にしても30くらいしか参加していません。全教区的に取り組みたいと願っていますが、なかなか困難のようです。
交流会は大切なので、まだ私が世話人となっています。本来は、神奈川教区側は準備委員になるのは教区議長、書記、そして青年委員会、婦人委員会、他民族共生委員会の代表者になっています。ところが、私は議長を退任しているのに、まだ世話役をしているのです。次の議長達は準備委員会には出席しますが、世話役を担当しないのです。それで、仕方なく世話役を今になっても担っているわけです。2006年度は開催できませんでしたが、次年度は開催したいと願っています。日本に生きる外国人の諸問題を共に担いたいと思っています。

聖書の言葉
「寄留者があなたの土地に共に住んでいるなら、彼を虐げてはならない。あなたたちのもとに寄留する者をあなたたちのうちの土地に生まれた者同様に扱い、自分自身のように愛しなさい。」(レビ記19章33節)