鈴木伸治の徒然記

永年の牧師、園長を隠退し、思い出と共に現況を綴ります

隠退牧師の徒然記<437>

隠退牧師の徒然記(2016年3月1日〜)<437>
2017年4月29日「憩いの場を喜びつつ」



聖書の言葉
それからすぐ、イエスは弟子たちを強いて舟に乗りこませ、向こう岸へ先に行かせ、その間に群衆を解散させてから、祈るためにひとり山にお登りになった。夕方になっても、ただひとりそこにおられた。
(マタイによる福音書14章22-23節)



最近は早苗幼稚園の園長を担うようになり、散歩が少なくなっている。月・水・金は幼稚園に出かけるので散歩はできない。それでも火・木・土はお休みをいただいているので、散歩の喜びを得ている。もっとも、このところ雨が多く、出かけられないときも多かった。しかし、新緑の季節となり、ゴールデンウィークを迎えたとき、この辺はお天気がつづくようだ。散歩はほとんど同じコースである。家から瀬ケ崎、関東学院の前を歩いていく。関東学院の手前では公園が造られていた。もともと市営住宅であったようで、解体されてから久しく経っていたが、何やら工事が始まったのである。そして小さな公園が造られた。まだ半分の開放であるが、利用できる様になっている。半分は工事中であるが、結構広くなるようである。公園には子供たちが遊ぶ遊具が設置されている。それほど広くないので、駆けずり回るほどでもない。一方、さらに歩くと室の木地区の野島公園がある。つい最近まで、この公園の桜の木の下で、敷物を敷いてはお花見の人たちでにぎわっていた。今は、あまり訪れる人もなく、ひっそりと静まり返っている。一方、駐車場兼公園があり、駐車場は土曜日と日曜日だけの利用であり、他の日は遊び場にもなっている。野球やサッカーで楽しむ青少年を見る。球技遊びは禁止と書かれているのだが。
日本の公園もあちらこちらに設置されているが、子供たちの遊び場が主たる目的の様である。もっとも大きな公園は大人が楽しむのであるが。先日、連れ合いのスミさんのパスポート申請で山下公園の近くにある産業貿易センターに赴く。その中にパスポートセンターがあるからである。申請を済ませてから、久しぶりに山下公園を歩いてみる。若い頃は友達とよく訪れたものである。随分と広い公園であることを改めて示されるのである。丁度今はチューリップの花盛りで、鑑賞する人々も多くいる。花の鑑賞ばかりではなく、やはり山下公園なので、訪れる人が絶えないのである。ベンチに座っては、目の前の海を眺めている人、遠くにベイブリッジが見える。港に停泊する船を眺めながら、いつの間にか海外の世界を想う人もあるのだろう。
日本には大きな公園があり、連休中には多くの人でにぎわうことだろう。町中にある公園を示されながら、スペイン・バルセロナにある公園を比較している。どこの公園も憩いの場であること、子供たちの遊びの場であることは同じである。バルセロナの場合、公園内に子供の遊び場があるが、その一角は柵で仕切られている。だから憩いの場としての公園になっている。公園のベンチにはいつも高齢者が座っている。また、公園の一角には高齢者の遊び場、ペタンカのコートがある。公園には高齢者が多くいるのである。それに対して、日本の公園には高齢者の姿を見かけない。多くの場合、デイサーヴィスに出かけているのである。昔は公園でゲートボールをしている高齢者の皆さんを見かけたものであるが、最近はほとんど見かけない。ゲートボールをする人がいなくなってしまったのである。もっとも、公園は狭くてコートが取れないこともある。公園で新聞を読んだり、読書したり、ただ座っている人もいるが、バルセロナの公園利用を思いだしている。また、バルセロナの公園には、ドックランが設置されていることも多い。犬の遊び場でもあり、結構訪れている。犬達が駆けずり回っていれば、飼い主はおしゃべりをしているのである。日本の公園にはドックランなるものがない。
とにかく、公園は憩いの場であり、家を出て、憩いの場でしばし過ごすことが何よりなのだが。公園で憩いのひと時を過ごしているうちにも、高齢者がいつまでもベンチに座っているので、声をかけられたりして…。認知症なのかと。



最近造られた公園。まだ半分は工事中であるが。



山下公園はチューリップが咲き乱れている。
向こうにはベイブリッジが見える。



バルセロナの公園で、民族の踊り、サルダーナを楽しむ皆さん。



マレーシア・クアラルンプールの公園で、疲れを癒す夫婦。